OASIS News 5

オアシス・OASISニュース


1995(ねん)(がつ) No.5


(こころ)(こころ)()(はし)

    

「オアシス」代表(だいひょう)         田ヶ谷(たがや) 雅夫(まさお)


10(がつ)のオアシス・セミナーは、講師(こうし)甲府市(こうふし)()在日韓国人(ざいにちかんこくじん)のB.Nさんでした。歯切(はぎ)れのよい同氏(どうし)の、定住外国人(ていじゅうがいこくじん)地方参政権(ちほうさんせいけん)(もと)める論調(ろんちょう)には、(おな)じアジア(じん)それもついお(とな)りの、(むかし)から交流(こうりゅう)密接(みっせつ)だった(くに)への連帯感(れんたいかん)もあって、感銘深(かんめいふか)()かせてもらいました。オアシスは、Koreaへの関心(かんしん)をもっと具体化(ぐたいか)せねばならないな、とも(おも)いました。

(じつ)は、たまたま10(がつ)にC.Bさん(42(さい))という韓国(かんこく)光洲市(こうしゅうし)福祉(ふくし)関係者(かんけいしゃ)(かた)に、4日間(よっかかん)ほど拙宅(せったく)にホームステイしてもらいました。その(さい)も、(わたし)はある意味(いみ)のカルチャーショックを経験(けいけん)したのです。(そしてそのことは、C氏自身(しじしん)同様(どうよう)だったと(おも)います)。

(わたし)は、韓国(かんこく)人々(ひとびと)(いま)でも日本人(にほんじん)にすごく敵愾心(てきがいしん)()っているのではないかと、Cさんに(たず)ねてみました。(かれ)返事(へんじ)はこうです。

「そりゃ、当然(とうぜん)でしょう。豊臣秀吉(とよとみひでよし)散々(さんざん)侵略(しんりゃく)されたのは(むかし)のこととしても、日清戦争(にっしんせんそう)のあと、日本(にほん)併合(へいごう)されて植民地(しょくみんち)としてのひどい(くる)しみを50年以上(ねんいじょう)(わた)って(あじ)わわされたのですから。日本(にほん)はこれからも軍備(ぐんび)拡張(かくちょう)して、もう一度(いちど)アジアを支配(しはい)するんじやないですか。」

冗談(じょうだん)じやない。日本人(にほんじん)戦争(せんそう)はこりごりだし、そんな(ちから)なんかあるわけはない。」と()っても、(かれ)はなかなか納得(なっとく)してくれません。

日本人(にほんじん)は、(いま)でもKoreaの(ひと)民族的(みんぞくてき)見下(みくだ)していませんか。最近(さいきん)韓国(かんこく)のベストセラーになった(ほん)(なか)に、こういう(はなし)()ていますよ。ある日本人(にほんじん)(むすめ)が、黒人男性(こくじんだんせい)結婚(けっこん)したいと()()したので、父親(ちちおや)猛反対(もうはんたい)した。そしたら、彼女(かのじょ)はこう()ったというのです。“いいわよ。もし黒人(こくじん)結婚(けっこん)させてくれないんなら、あたし韓国人(かんこくじん)結婚(けっこん)しちゃうから。”」

(わたし)は、この小話(こばなし)一瞬理解(いっしゅんりかい)できませんでした。ひどい。そんなの日本人(にほんじん)への偏見(へんけん)だと(おも)っても、実際(じっさい)にチョゴリ()()事件(じけん)頻発(ひんぱつ)した事実(じじつ)(かんが)えても、まだまだ相互友好(そうごゆうこう)(みち)(とお)いと実感(じっかん)せざるを()ませんでした。

Cさんは、来年(らいねん)はぜひ韓国(かんこく)(おとず)れてほしいと、(こころ)から(わか)れを()しんで山梨(やまなし)()りました。

(わたし)は(そしてたぶん(かれ)も)、この(みじか)いホームステイから(おお)きなものを(まな)んだと(おも)います。それは、()(なか)本当(ほんとう)()えていくのは、政治(せいじ)でも経済(けいざい)でもなく、(たが)いの(あたた)かい人間性(にんげんせい)理解(りかい)信頼(しんらい)であることでしょう。オアシスの今後(こんご)活動(かつどう)も((すこ)大袈裟(おおげさ)ですが)、世界中(せかいじゅう)(ひと)々の(こころ)(こころ)をつなぐ、(ひと)つの()(はし)になれば、と(ねん)じている次第(しだい)です。



オアシス活動報告(かつどうほうこく)

1994(ねん)(がつ)〜1995(ねん)(がつ)


8.18  事務局会議(じむきょくかいぎ)    於事務所(おけるじむしょ)
9.15  事務局会議(じむきょくかいぎ)        於事務所(おけるじむしょ)
9.17  オアシスセミナー(だい)IV期第(きだい)1回開催(いっかいかいさい)    「在日外国人労働者(ざいにちがいこくじんろうどうしゃ)現状(げんじょう)医療現場(いりょうげんば)から」
     講師(こうし):ひらの亀戸(かめいど)ひまわり診療所(しんりょうじょ)          T.H所長(しょちょう)  (おける)ボランティアセンター
10.20 事務局会議(じむきょくかいぎ)        於事務所(おけるじむしょ)
10.31 オアシスセミナー(だい)IV期第(きだい)回開催(かいかいさい)地域社会(ちいきしゃかい)定住(ていじゅう) 外国人(がいこくじん)
     講師(こうし):B.Nさん 於甲府(おけるこうふ)カトリック教会(きょうかい)
11.17 事務局会議(じむきょくかいぎ)        於事務所(おけるじむしょ)
12.15 事務局会議(じむきょくかいぎ)        於事務所(おけるじむしょ)
1.19  事務局会議(じむきょくかいぎ)        於事務所(おけるじむしょ)


相談活動(そうだんかつどう)

1994(ねん)(がつ)〜1995(ねん)(がつ)

1.タイ女性(じょせい)  売春(ばいしゅん)強要(きょうよう)されトイレ用洗剤(ようせんざい)服毒自殺未遂(ふくどくじさつみすい)通訳要請(つうやくようせい)要手術(ようしゅじゅつ)継続中(けいぞくちゅう)
2.イラン人男性(じんだんせい)Bさん  (うで)(あし)骨盤骨折(こつばんこっせつ)通訳要請(つうやくようせい)継続中(けいぞくちゅう)
3.イラン人男性(じんだんせい)Hさん  足骨折(あしこっせつ)下請(したう)けが()からない。
4.イラン人男性(じんだんせい)Sさん 賃金未払(ちんぎんみばら)い。
5.タイ人男性(じんだんせい)Sさん  ()きだおれでK病院(びょういん)収容(しゅうよう)、のち、死亡(しぼう)大使館(たいしかん)、その()連絡(れんらく)遺骨(いこつ)遺品(いひん)タイヘ郵送(ゆうそう)父親(ちちおや)から感謝(かんしゃ)手紙(てがみ)
6.タイ人男性(じんだんせい)事故死(じこし)殺人(さつじん)?)   身元確認(みもとかくにん)姉訪日(あねほうにち)身元保証(みもとほしょう)永照寺(えいしょうじ)にて葬儀(そうぎ)
7.タイ人女性(じんじょせい)Cさん   (おとうと)葬儀(そうぎ)(けん)感謝(かんしゃ)手紙(てがみ)
8.イラン人夫婦(じんふうふ)MさんRさん   (おっと)、オーバーステイで強制送還(きょうせいそうかん)(のこ)った(つま)とその(むすめ)生活全般(せいかつぜんぱん)にわたって支援継続中(しえんけいぞくちゅう)
9.ペルー人男性(じんだんせい)Hさん   片腕切断(かたうでせつだん)入院(にゅういん)()()っていた(おとうと)、オーバーステイで強制送還(きょうせいそうかん)
10.タイ人女性(じんじょせい)Wさん 裁判継続中(さいばんけいぞくちゅう)
11.AMDAよりタイ人女性(じんじょせい)救出(きゅうしゅつ)依頼(いらい)
12.タイ男性(だんせい)女性(じょせい)、それぞれ5(けん)帰国(きこく) 援助(えんじょ)
13.イラン人男性(じんだんせい)Aさん 賃金未払(ちんぎんみばら)い。
14.弁護士(べんごし)協力(きょうりょく)により、タイ人女性(じんじょせい)日本人男性(にっぽんじんだんせい)結婚相談会開催(けっこんそうだんかいかいさい)(6組継続中(くみけいぞくちゅう))。
15.日本人雇用主(にほんじんこようぬし)より  (はたら)いてくれたペルー(じん)が、賃金(ちんぎん)(わた)さない(うち)(つぎ)職場(しょくば)()ってしまった。
  奈良(なら)住所(じゅうしょ)()かっているが連絡(れんらく)がつかない.  →京都(きょうと)YWCA、APTに依頼(いらい)継続中(けいぞくちゅう)
16.日本人(にほんじん)より  イラン人夫婦(じんふうふ)(くるま)()りたいと()っているがどうしたらよいか。
17.イラン(じん)Mさん  労災事故(ろうさいじこ)責任(せきにん)()文章(ぶんしょう)元請(もとう)け、孫請(まごう)担当親方(たんとうおやかた)提出(ていしゅつ)
18.ブラジル(じん)日系(にっけい)夫婦(ふうふ)子供(こども)  (つま)日本(にほん)馴染(なじ)めず、精神(せいしん)異常(いじょう)(はや)本国(ほんごく)(かえ)すために、帰国援助(きこくえんじょ)
19.ペルー(じん)日系(にっけい)賃金未払(ちんぎんみばら)い。
20.フィリピン人男性(じんだんせい)(にん) 賃金未払(ちんぎんみばら)い。
21.フィリピン人女性(じんじょせい)(おっと)行方不明(ゆくえふめい)。このままではオーバーステイになる。継続中(けいぞくちゅう)
22.HELPより  タイ人女性救援依頼(じんじょせいきゅうえんいらい)



オアシスセミナー(だい)IV期第(きだい)回報告(かいほうこく)

地域社会(ちいきしゃかい)定住外国人(ていじゅうがいこくじん)

講師(こうし):B.Nさん(山梨韓国青年商工会会長(やまなしかんこくせいねんしょうこうかいかいちょう)
1994(ねん)10(がつ)31(にち)  甲府(こうふ)カトリック教会(きょうかい)にて


            

()る10(がつ)31(にち)(だい)期第(きだい)(かい)オアシスセミナーが、講師(こうし)山梨韓国青年商工会会長(やまなしかんこくせいねんしょうこうかいかいちょう)のB.Nさんを(むか)えてひらかれました。

Bさんは在日(ざいにち)二世(にせい)で、在日韓国人(ざいにちかんこくじん)新聞(しんぶん)統一日報(とういつにっぽう)』の記者(きしゃ)として(なが)間民族問題(あいだみんぞくもんだい)にとりくんできた経験(けいけん)山梨県(やまなしけん)長期計画審議会委員(ちょうきけいかくしんぎかいいいん)としての体験(たいけん)をふまえ、在日(ざいにち)歴史的(れきしてき)経過(けいか)から参政権(さんせいけん)問題(もんだい)まで幅広(はばひろ)(はな)していただきました。

Bさんはまず、ニューカマーの(ひと)たちに一世(いっせい)たちの姿(すがた)をオーバーラップさせて「自分(じぶん)たちの問題(もんだい)をやりきれなかったことが、(いま)、ニューカマーの(ひと)たちのおかれている状況(じょうきょう)()みだしている責任(せきにん)(かん)じる」ときりだしました。(つづ)けて「在日(ざいにち)一世(いっせい)たちは本国志向(ほんごくしこう)(つよ)く、自分(じぶん)たちの生活権(せいかつけん)発言権(はつげんけん)獲得(かくとく)してゆくところまでにはいたらなかった」と指摘(してき)した(うえ)で、「在日(ざいにち)(ひと)たちの処遇(しょぐう)規定(きてい)した1965(ねん)韓日条約(かんにちじょうやく)でやっと生活保護(せいかつほご)義務教育(ぎむきょういく)()ける権利(けんり)(あた)えられた。30年前(ねんまえ)就職(しゅうしょく)もできないような状況(じょうきょう)であり、自分(じぶん)たちの(ちから)()えてゆかなければと(おも)った」と主張(しゅちょう)。さらに「1991(ねん)法的地位(ほうてきちい)再協定(さいきょうてい)で、再入国期間(さいにゅうこくきかん)延長(えんちょう)強制退去処分(きょうせいたいきょしょぶん)指紋押捺等(しもんおうなつなど)制度(せいど)改正(かいせい)実施(じっし)されたが、これらも国際人権規約(こくさいじんけんきやく)難民条約(なんみんじょうやく)などによる国際的(こくさいてき)圧力(あつりょく)に よるものである」と(きび)しく指摘(してき)しました。

日本人(にほんじん)でもあるけど韓国人(かんこくじん)でもある、ということを素直(すなお)に、肯定的(こうていてき)()()めるしかないのではないかと(かんが)えるようになったBさんは、こうした(かんが)(かた)から地域社会(ちいきしゃかい)をみて「市民(しみん)とか住民(じゅうみん)意識(いしき)本当(ほんとう)日本(にほん)(なか)確立(かくりつ)されているのだろうか。わたしたち在日(ざいにち)という存在(そんざい)は、市民意識(しみんいしき)住民意識(じゅうみんいしき)明確化(めいかくか)していくことに意義(いぎ)がある」と主張(しゅちょう)しました。

地方自治法(ちほうじちほう)では、参政権以外(さんせいけんいがい)権利(けんり)外国人(がいこくじん)(あた)えられている。しかし、住民基本台帳法(じゅうみんきほんだいちょうほう)対象(たいしょう)日本国民(にほんこくみん)たる住民(じゅうみん)(かぎ)られており、在日(ざいにち)(ひと)たちは(くに)機関委任事務(きかんいにんじむ)である外国人登録(がいこくじんとうろく)によってのみ存在(そんざい)(あき)らかにされているだけ。つまり、地方自治(ちほうじち)体系(たいけい)には()()まれていないのである。こうした問題点(もんだいてん)をあげながら、Bさんは「日本(にほん)は、住民(じゅうみん)国民(こくみん)都合(つごう)のいいように解釈(かいしゃく)し、あいまいにしているとしかいえない」と(きび)しく批判(ひはん)しました。「こうした矛盾(むじゅん)(あき)らかにしてゆくために在日(ざいにち)がある。マイノリティーの特殊性(とくしゅせい)独自性(どくじせい)()かされる社会(しゃかい)をつくってゆくための存在(そんざい)としての意味(いみ)がある」と在日(ざいにち)存在意義(そんざいいぎ)指摘(してき)しました。さらに「(われ)問題(もんだい)と、市民(しみん)として人類(じんるい)としてのルールとのバランスをどうとってゆくのかが大切(たいせつ)ではないか。 バランスがきちんととれたところに世界(せかい)普遍性(ふへんせい)があると(おも)う」と(はな)されました。

参政権(さんせいけん)問題(もんだい)については立法(りっぽう)問題(もんだい)であり、時間(じかん)がかかると(おも)うとしながらも「(ひろ)意味(いみ)での参政権(さんせいけん)、つまり地方自治体(ちほうじちたい)各種審議会(かくしゅしんぎかい)諮問委員会(しもんいいんかい)人権擁護委員(じんけんようごいいん)行政委員(ぎょうせいいいん)などに積極的(せっきょくてき)(はい)ってゆくことが必要(ひつよう)ではないか。こうした意味(いみ)での参政権(さんせいけん)をどんどん(もと)めてゆくことで、外国人(がいこくじん)(こえ)行政(ぎょうせい)反映(はんえい)させてゆこう」と主張(しゅちょう)しました。

地方参政権(ちほうさんせいけん)獲得(かくとく)について、現在(げんざい)100以上(いじょう)地方自治体議会(ちほうじちたいぎかい)意見書(いけんしょ)採択(さいたく)されており、山梨(やまなし)でも12月県議会(がつけんぎかい)提出(ていしゅつ)されました。(現在(げんざい)この意見書(いけんしょ)継続審議(けいぞくしんぎ)になっています。)朝日新聞(あさひしんぶん)のアンケート調査(ちょうさ)でも、地域(ちいき)年齢格差(ねんれいかくさ)があるものの、(わか)(ひと)肯定的(こうていてき)(ひと)(おお)いのは希望(きぼう)がもてます。

Bさんの「地方参政権(ちほうさんせいけん)(ふく)め、定住外国人(ていじゅうがいこくじん)人権(じんけん)確立(かくりつ)など、(うち)なる国際貢献(こくさいこうけん)日本(にほん)具体的(ぐたいてき)()たすべき」との指摘(してき)に、日頃(ひごろ)(ほう)制度(せいど)不備(ふび)のため、大変(たいへん)状況(じょうきょう)()()まれている外国人(がいこくじん)支援(しえん)をしているオアシスのメンバーはまったく(おな)(おも)いでした。

Bさんの講演(こうえん)()いて、住民意識(じゅうみんいしき)というものを自覚(じかく)せずに、()たり(まえ)のものとして()きてきたことにあらためて()づかされました。地方参政権(ちほうさんせいけん)問題(もんだい)でも、今年(ことし)から政党助成法(せいとうじょせいほう)施行(しこう)され、国民一人(こくみんひとり)250(えん)負担(ふたん)がかかってくることになりますが、定住外国人(ていじゅうがいこくじん)にとって負担(ふたん)()えても政治(せいじ)には(かか)われないという矛盾(むじゅん)をひきおこしています。こうした問題(もんだい)について(わたし)たち日本人(にほんじん)は、たいして議論(ぎろん)してこなかった事実(じじつ)もあり、Bさんの主張(しゅちょう)する(ひろ)意味(いみ)での参政権(さんせいけん)当然(とうぜん)のことながら、定住外国人(ていじゅうがいこくじん)地方参政権(ちほうさんせいけん)についても真剣(しんけん)論議(ろんぎ)してゆく必要(ひつよう)があると(かん)じました。  (報告(ほうこく) M)



外国人人権(がいこくじんじんけん)ネットワーク・オアシス総会記念講演報告(そうかいきねんこうえんほうこく)

在日韓国(ざいにちかんこく)朝鮮人(ちょうせんじん)日本社会(にほんしゃかい)〜ニューカマーを(むか)えて〜

講師(こうし)一橋大学(ひとつばしだいがく) H.T教授(きょうじゅ)
1994(ねん)(がつ)18(にち)  (おける)リバース和戸(わど)


  

(おそ)くなって(もう)(わけ)ありません。昨年(さくねん)(がつ)のH.T先生(せんせい)による総会記念講演会(そうかいきねんこうえんかい)要約(ようやく)掲載(けいさい)します。先生(せんせい)のお(はなし)は、大事(だいじ)なことばかりで、省略出来(しょうりゃくでき)るところがほとんどなかったのですが、紙面(しめん)都合上(つごうじょう)だいぶ割愛(かつあい)させていただきました。よって、言葉不足(ことばぶそく)(ところ)もあります。ご了承下(りょうしょうくだ)さい。また、手違(てちが)いにより講演(こうえん)最後(さいご)部分(ぶぶん)録音(ろくおん)できませんでしたので今回(こんかい)、その部分(ぶぶん)掲載(けいさい)でき ませんでした。先生(せんせい)ならびに読者(どくしゃ)皆様(みなさま)にお()(もう)()げます。

なお詳細(しょうさい)先生(せんせい)著書(ちょしょ)在日外国人(ざいにちがいこくじん)』(岩波新書(いわなみしんしょ))をぜひお()みいただきたいと(おも)います。『在日外国人(ざいにちがいこくじん)』は1(がつ)にデータなどが(あたら)しくなり、(しんぱん)発売(はつばい)されました。


  「ニュー・カマーを(かんが)える(とき)(かなら)ずオールド・カマーのことをきちっとふまえる必要(ひつよう)がある」というのが(わたし)持論(じろん)です。

日本近現代史(にほんきんげんだいし)(なか)で「(いま)(むかし)」そして「(うち)(そと)

かつて、沢山(たくさん)(ひと)(かか)(まず)しかった日本(にほん)()った方法(ほうほう)はできるだけ(ひと)(そと)()すことだった。「日韓併合(にっかんへいごう)()朝鮮半島(ちょうせんはんとう)に17万人(まんにん)日本人(にほんじん)がいた。明治元年(めいじがんねん)には海外(かいがい)への移民(いみん)(はじ)まる。在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)歴史(れきし)経緯(けいい)(なか)日本(にほん)存在(そんざい)する。在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)移民(いみん)、バランス感覚(かんかく)()って()ているか。在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)(おお)くが、(いま)通名(つうめい)使(つか)わなければ日本(にほん)()らせないのが現実(げんじつ)。 ペルーのフジモリ大統領(だいとうりょう)日系二世(にっけいにせい)。「フジモリ」という()大統領(だいとうりょう)になっている。日本(にほん)では想像(そうぞう)できない。 教育水準(きょういくすいじゅん)(たか)く、世界(せかい)でトップクラスと(おも)っているこの社会(しゃかい)では、外国人(がいこくじん)が、自分(じぶん)(かく)して()らさざるを()ない。 テレビ番組(ばんぐみ)で、フジモリ大統領(だいとうりょう)に「日本(にほん)視聴者(しちょうしゃ)日本語(にほんご)でメッセージをお(ねが)いします」と()ったが、それが私達(わたしたち)社会(しゃかい)の センス。「(むかし)(いま)」「(うち)(そと)」というバランス感覚(かんかく)があればもう(すこ)()(しょ)(かた)があったと(おも)う。

植民地時代(しょくみんちじだい)

同化(どうか)」が(ひと)つのキーワード。(よう)するに日本人化(にほんじんか)する。(おと)ったものをどう自分(じぶん)(がわ)(ただ)しいものに(したが)わせるか。それが(あやま)り、間違(まちが)った(かんが)えだったと、きちっと()さえることが、1945(ねん)日本(にほん)歴史(れきし)における位置(いち)づけ、意義(いぎ)づけだったと(おも)う。問題(もんだい)は、戦後(せんご)その問題(もんだい)とどう決別(けつべつ)克服(こくふく)していったか、いかなかったか。

占領期(せんりょうき)(1945(ねん)〜1952(ねん)

終戦後(しゅうせんご)日本(にほん)に60万位(まんくらい)朝鮮人(ちょうせんじん)(のこ)ったが、日本人(にほんじん)日本国民(にほんこくみん))なのか外国人(がいこくじん)なのかよくわからない。具体的変化(ぐたいてきへんか)は、1945 (ねん)12(がつ)参政権停止(さんせいけんていし)。それ以前(いぜん)は、いわゆる「内地(ないち)()んでいた朝鮮人(ちょうせんじん)台清人(たいせいじん)には選挙権(せんきょけん)被選挙権(ひせんきょけん)があった。1947(ねん)(がつ)2日(ふつか)には、「外国人登録令(がいこくじんとうろくれい)」が、最後(さいご)の「勅令(ちょくれい)」として公布(こうふ)された。「当分(とうぶん)(あいだ)外国人(がいこくじん)()なす」と()いてある。外国人登録(がいこくじんとうろく)をさせられる。そして、翌日(よくじつ)5(がつ)5日(いつか)新憲法(しんけんぽう)発布(はっぷ)された。
戦後(せんご)できた民族学校(みんぞくがっこう)(たい)し、文部省(もんぶしょう)は、「あなた(たち)日本(にほん)にいる(かぎ)日本国籍(にほんこくせき)()っているとものと(かんが)える。したがって、(おや)として日本(にほん)学校(がっこう)就学(しゅうがく)させる義務(ぎむ)がある」とし、朝鮮人学校(ちょうせんじんがっこう)民族教育(みんぞくきょういく)(みと)めない。植民地時代(しょくみんちじだい)認識(にんしき)()わっていない。
当局(とうきょく)都合(つごう)で、ある(とき)日本国民(にほんこくみん)、あるときは外国人(がいこくじん)

講和条約発効(こうわじょうやくはっこう) 1952(ねん)(がつ)28(にち)日本独立(にほんどくりつ)

旧植民地出身者(きゅうしょくみんちしゅっしんしゃ)にとっては、名実(めいじつ)ともに外国人(がいこくじん)になった()日本(にほん)日本国籍(にほんこくせき)()っていない(ひと)はどういう立場(たちば)におかれるのか。ちょっとどぎつい()(かた)だが、そんなに(ちが)っていないと(おも)う。「日本国籍(にほんこくせき)がなくなると、ほとんど人間扱(にんげんあつか)いされない」。 外国人登録(がいこくじんとうろく)(とき)指紋(しもん)をとるのは、「同一人性確認(どういつにんせいかくにん)に、指紋(しもん)簡便(かんべん)正確(せいかく)だから」と法務省(ほうむしょう)()うが、なぜ外国人(がいこくじん)からだけとるのか。選挙投票(せんきょとうひょう)のチェック、(くるま)免許証(めんきょしょう)やパスポート、同一人性(どういつにんせい)確認(かくにん)必要(ひつよう)だが、指紋(しもん)()らない。法務省(ほうむしょう)は、「写真(しゃしん)他人(たにん)空似(そらに)があるから駄目(だめ)」と()う。免許証(めんきょしょう)もそう()えばよい。いろいろ(かんが)えたが、こういう説明(せつめい)しかない。「日本人(にほんじん)はかわいい、だけど外国人(がいこくじん)(にく)い」「日本人(にほんじん)()(ひと)だから(へん)なことをしないが、外国人(がいこくじん)(なに)をしでかすか()からないから()っておく」同一人性確認(どういつにんせいかくにん)目的(もくてき)ではない。外国人(がいこくじん)人間扱(にんげんあつか)しないため国家(こっか)はいろいろ(かんが)え、それに一億人(いちおくにん)(なん)となく()っかって いる。この(おく)(ひそ)んでいる思想(しそう)、おぞましい気持(きも)ちを(かんが)える必要(ひつよう)がある。外国人(がいこくじん)になるとは、(たと)えばそういう地位(ちい)につくこと。

社会保障制度(しゃかいほしょうせいど)外国人(がいこくじん)本誌(ほんし)8ページ(ひょう)参照(さんしょう)

 外国人(がいこくじん)は、十年位前(じゅうねんくらいまえ)まで、社会保障制度(しゃかいほしょうせいど)からほとんど()() されていた.健康保険(けんこうほけん)年金(ねんきん)は、自分(じぶん)部分的(ぶぶんてき)負担(ふたん)する。(あと) のものの財源(ざいげん)は、外国人(がいこくじん)(ふく)め、我々(われわれ)(はら)った税金(ぜいきん)。が、「外国人(がいこくじん)には児童手当(じどうてあて)()せないから税金(ぜいきん)八掛(はちが)けでいい」とか 絶対言(ぜったいい)わない。日本(にほん)制度(せいど)(なか)で、内外人(ないがいじん)徹底的(てっていてき)平等(びょうどう)(あつか)っ ているのは税金(ぜいきん)()世界(せかい)協定永住者(きょうていえいじゅうしゃ)からも税金(ぜいきん)()り、社会保障(しゃかいほしょう)駄目(だめ)。これに野党(やとう)文句(もんく)()ったという(はなし)()かない。 最近(さいきん)()うのも()てきたが。1971(ねん)にできた児童手当法(じどうてあてほう)。「外国人(がいこくじん)からも税金(ぜいきん)をとっているんだから、児童手当(じどうてあて)()すべき」 と質問(しつもん)した議員(ぎいん)はいない。被用者健康保険法(ひようしゃけんこうほけんほう)が1922(ねん)にできた が、在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)保険(ほけん)があるところになかなか就職(しゅうしょく)できない。 朝鮮人(ちょうせんじん)差別(さべつ)するため(つく)ったと()われてもしかたない。

社会保障制度(しゃかいほしょうせいど)改正(かいせい)

 これらの制度(せいど)改正(かいせい)されたのが、1979(ねん)に、国際人権規約(こくさいじんけんきやく)、1982(ねん)難民条約(なんみんじょうやく)加入(かにゅう)した(とき)。サミットが(はじ)まり、世界(せかい)度外(どはず)れたことはできなくなり、日本政府(にっぽんせいふ)は、難民(なんみん)上陸(じょうりく)(はじ)めて正式(せいしき)(みと)め、その(あと)定住許可(ていじゅうきょか)()し、(あと)定住枠(ていじゅうわく)500(にん)発表(はっぴょう)東京(とうきょう)サミットの(とき)定住促進(ていじゅうそくしん)センター発表(はっぴょう)難民達(なんみんたち)日本(にほん)()()めるよう、外国人(がいこくじん)()()まることしか(かんが)えていなかった日本(にほん)が、お(かね)使(つか)って努力(どりょく)をする。ところが、公営住宅(こうえいじゅうたく)は、外国人(がいこくじん)はオフリミットなので難民(なんみん)()れられない。児童扶養手当(じどうふようてあて) は、国籍条項(こくせきじょうこう)により難民(なんみん)()せない。
そのうち、フランスのル・モンドが、「日本(にほん)難民政策(なんみんせいさく)後進性(こうしんせい)背景(はいけい)は、伝統的(でんとうてき)制度的(せいどてき)朝鮮民族(ちょうせんみんぞく)(たい)する差別(さべつ)」と()いたりして、国際人権規約(こくさいじんけんきやく)難民条約(なんみんじょうやく)、(1951年採択(ねんさいたく))に加入(かにゅう)せ ざるを()なくなった。それまで加入(かにゅう)しなかったのは(ひょう)@の△や ×を○に()えなければいけなかったから。インドシナ難民(なんみん)発生(はっせい)していなかったらそのまま。黒船(くろふね)()ると()わる。幕末(ばくまつ)(おな) じ。野党(やとう)学者(がくしゃ)新聞(しんぶん)(なに)()わない。そういう(なか)外国人(がいこくじん)()らしてきた。だから、「外国人(がいこくじん)は、日本(にほん)では人間扱(にんげんあつか)いされない」ということ。おそらくこれは、朝鮮(ちょうせん)や、中国(ちゅうごく)分断国家(ぶんだんこっか)である(こと)関係(かんけい)する。過去(かこ)歴史(れきし)について一番考(いちばんかんが)えなければいけない(くに)(こと)が、 東西冷戦下(とうざいれいせんか)(じか)()りかかってこない。そのうち、経済(けいざい)(ふく)らみら、だんだん大国意識(たいこくいしき)()てきて世界(せかい)超一流国(ちょういちりゅうこく)になったと(おも) っている。ここ5〜6(ねん)、ひどいことをしたとやっと(かんが)えるよう になった。(おな)じような立場(たちば)のドイツは、自分(じぶん)(ふた)つに()()かれる(かたち)で、(なに)をやったか()われ、隣国(りんごく)は、きゃっきゃっ()う。ド イツは、ずーっと努力(どりょく)している。戦後(せんご)40(ねん)(とき)、ヴァイッゼッカー大統領(だいとうりょう)は、「過去(かこ)()()ざすものは、・・・」という演説(えんぜつ)を ドイツが降伏(こうふく)した5(がつ)8日(ようか)にした。日本(にほん)総理(そうり)中曽根(なかそね)さんは、 8(がつ)15(にち)東条英機(とうじょうひでき)(まつ)っている靖国神社(やすくにじんじゃ)()った。(ぼく)学生(がくせい)に「ヴァイツゼッカーの演説(えんぜつ)(なか)の『過去(かこ)()()ざすものは ・・・』とは中曽根(なかそね)さんのことを()った」と(はな)した。ヴァイツゼッ カーの演説(えんぜつ)多少気(たしょうき)にかけていれば、ヤバイなというセンスが(はたら)いてもいい。この8(がつ)15(にち)中国(ちゅうごく)では南京大虐殺記念館(なんきんだいぎゃくさつきねんかん)、731部隊罪證陳列館(ぶたいざいしょうちんれつかん)がオープン。外務省(がいむしょう)は、総理官邸(そうりかんてい)にこういう 情報(じょうほう)()れるべき。しかし、その()総理大臣(そうりだいじん)外務大臣(がいむだいじん)は、 靖国(やすくに)公式参拝(こうしきさんぱい)できない。(わたし)は1985(ねん)戦争(せんそう)()わったと(おも)っ たらいいと(おも)う。1945(ねん)は、欧米(おうべい)との戦争(せんそう)()わり。1985(ねん)にアジアとの関係(かんけい)出発点(しゅっぱつてん)()た、と(かんが)えると丁度(ちょうど)いい。こうい う歴史(れきし)(ゆが)みを在日外国人(ざいにちがいこくじん)問題(もんだい)はしょってきている。

民族差別撤廃(みんぞくさべつてっぱい)への挑戦(ちょうせん)

 在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)は、それまで、「朝鮮人(ちょうせんじん)だからしょうがない」と ()寝入(ねい)りしていたが、70年代(ねんだい)、「やっぱりおかしい、文句(もんく)()おう」という空気(くうき)()てきた。日本(にほん)(なか)市民運動(しみんうんどう)(なか)で、 民族差別(みんぞくさべつ)()()げられるようになり、公営住宅(こうえいじゅうたく)への入居(にゅうきょ)(みと) めろとか、国民健康保険(こくみんけんこうほけん)加入(かにゅう)させろとか次々(つぎつぎ)にやり、(みち)(ひら)いてきた。
 指紋押捺拒否(しもんおうなつきょひ)もその延長線上(えんちょうせんじょう)()てきた。「同一人性確認(どういつにんせいかくにん)の ため指紋(しもん)必要(ひつよう)()うが、(なん)外国人(がいこくじん)だけ指紋(しもん)をとられるのか」 それが問題提起(もんだいていき)になって、法律上(ほうりつじょう)義務(ぎむ)拒否(きょひ)し、警察(けいさつ)(つか)ま ってもつっぱる。民団(みんだん)総連(そうれん)もどこで(だれ)拒否(きょひ)したかわからな いほどのうねりとなった。最後(さいご)日本政府(にっぽんせいふ)面子(めんつ)があったりし て、韓国(かんこく)転置(てんち)するというようなことで(すこ)()えたが。運動(うんどう)(ちから)(おお)きかったと(おも)う。
 そういう(かたち)で、「(ひと)しからざるを(うれ)う」ということが 日本(にほん)でも共有化(きょうゆうか)できるようになった。おそらくそういう素地(そじ)(うえ)に ニュー・カマーの問題(もんだい)()てきた。

1980(ねん)(がつ)新宿区役所(しんじゅくくやくしょ)でH.Jさん が拒否(きょひ)したのが、指紋闘争(しもんとうそう)最初(さいしょ)実際(じっさい)()(はじ)めた(とき)から拒否(きょひ)()ているが、日本人(にほんじん)見向(みむ)きもしなかった。指紋押捺制度(しもんおうなつせいど)導入(どうにゅう)された(ころ)西宮市職労(にしのみやししょくろう)が、「指紋(しもん)()る のは、特別(とくべつ)仕事(しごと)だから、特別勤務手当(とくべつきんむてあて)()せ」とやったこと がある(以降(いこう)指紋押捺制度廃止(しもんおうなつせいどはいし)のため努力(どりょく)することを(ちか)う)。 連帯(れんたい)という言葉(ことば)はきれいだが、想像(そうぞう)できない()(ふか)(かべ)がある。
(いま)(わか)(ひと)(ひら)けてきているし「(わたし)差別(さべつ)したことない」と か()う。意識(いしき)してないのが一番困(いちばんこま)る。それに自分(じぶん)加担(かたん)してい る感覚(かんかく)がない。朝鮮人(ちょうせんじん)一票(いっぴょう)(とう)ぜられない。法律(ほうりつ)日本国籍(にほんこくせき)()っている(ひと)全部作(ぜんぶつく)る。みんな、それに協力(きょうりょく)している。そ の感覚(かんかく)がない。この(せつ)朝鮮学校(ちょうせんがっこう)生徒(せいと)剃刀(かみそり)()れる(ひと)は、たくさんいないと(おも)うが、剃刀(かみそり)()()さなくても(おな)じような ことはずっとやってきた、と(かんが)えておく必要(ひつよう)がある。

(あたら)しい外国人(がいこくじん)()えてきていることの現状認識(げんじょうにんしき)

1990(ねん)改正入管法(かいせいにゅうかんほう)施行(しこう)され、様子(ようす)()わってきた。最大(さいだい)特徴(とくちょう)は、日系人(にっけいじん)就労(しゅうろう)自由化(じゆうか)だが、いわゆる「単純労働(たんじゅんろうどう)」 については()れないという原則(げんそく)はそのまま。専門職(せんもんしょく)は、(こま)かく 仕分(しわ)けをして、どちらかといえば開放(かいほう)方向(ほうこう)。 1993(ねん)就労(しゅうろう)(みと)められた新規入国者(しんきにゅうこくしゃ)は、97,101(にん)で、圧倒的(あっとうてき) 多数(たすう)興業(こうぎょう)(ほか)はそんなに外国人(がいこくじん)日本(にほん)()正式(せいしき)(はたら)けな い。92年度末現在(ねんどまつげんざい)在留数(ざいりゅうすう)も、一番多(いちばんおお)いの興業(こうぎょう)ビザで22,750(にん)、あと就労(しゅうろう)(みと)められているのは、ほとんどホワイトカラーで、アメリカ(じん)大部分(だいぶぶん)若干中国人(じゃっかんちゅうごくじん)活動制限(かつどうせいげん)のない外国人(がいこくじん)は、在日朝鮮人(ざいにちちょうせんじん)が585,170(にん)最多(さいた)(つぎ)日本人(にほんじん)配偶者(はいぐうしゃ)定住者(ていじゅうしゃ)。ともにブラジル(じん)最多(さいた)日系人(にっけいじん)突出(とっしゅつ)してきている。

どうして日系人(にっけいじん)がたくさん(はい)ってきたか

 日系人(にっけいじん)がたくさん(はい)ってきたのは「単純労働者(たんじゅんろうどうしゃ)」として自由(じゆう)(はたら)いていていいから。しかし、どうしてそうなったのかよく()か らない。(はたら)くというのは、(だれ)かが(やと)っているということ。(じつ)(だれ)(なん)(やと)うのかが(おお)きな問題(もんだい)であるが、そこは(だれ)関心(かんしん)() たない。外国人(がいこくじん)(こと)ばかり()()っている。
 90(ねん)法改正(ほうかいせい)というのは、(よう)するにフィリピン(じん)(くび)()っ て日系人(にっけいじん)(やと)っておけばいいという政策(せいさく)()ったということ。 愛知(あいち)静岡(しずおか)神奈川(かながわ)は、ペルー(じん)とブラジル(じん)合計(ごうけい)が2万人(まんにん) (だい)になった(けん)共通点(きょうつうてん)は、自動車産業(じどうしゃさんぎょう)集中(しゅうちゅう)していること。 日本(にほん)世界(せかい)(ほこ)自動車産業(じどうしゃさんぎょう)下請(したう)け、孫請(まごう)けに大量(たいりょう)日系人(にっけいじん)(はい)ってきたという事実(じじつ)だけはわかった。1987(ねん)愛知県下(あいちけんか)登録(とうろく)していたペルー(じん)とブラジル(じん)は、86(にん)だったが、現在(げんざい)万人(まんにん)()えている。どれくらい集中(しゅうちゅう)したかよくわかるが、自動車産業(じどうしゃさんぎょう)下請(したう)けが特別(とくべつ)外国人(がいこくじん)(この)んで(やと)ったということではない。()(はら)()えられない状態(じょうたい)になってきたということ。日本人(にほんじん)は、残業(ざんぎょう)をさせるとやめちやうが、日系人(にっけいじん)残業(ざんぎょう)(たの)しみ、 割増(わりま)賃金(ちんぎん)がつく。だから、日本(にほん)(がわ)大変大(たいへんおお)きな問題(もんだい)がある という認識(にんしき)()たなければいけない。日系人(にっけいじん)()えたことがこ れを証明(しょうめい)している。
 ところが、 1993(ねん)(がつ)に155,714(にん)いたブラジル(じん)が、1993(ねん) 12(がつ)には154,650(にん)()った。()えていたものが()った。これ は、景気(けいき)日本側(にほんがわ)(やと)わなくなった。(よう)するに、経済(けいざい)(つく)った 需給(じゅきゅう)バランスが、日本(にほん)外国人労働者問題(がいこくじんろうどうしゃもんだい)大枠(おおわく)をつくってい ると(かんが)えたほうがいい。また、法務省発表(ほうむしょうはっぴょう)のオーバーステイのデータによると、ぐん ぐん()えていたのが、ほとんど横這(よこば)状態(じょうたい)。つまり、景気(けいき)基本的(きほんてき)(かたち)(つく)ってきているといえると(おも)う。
 外国人(がいこくじん)管理(かんり)は、(いま)、オンライン()されていて、成田(なりた)(はい)る と全部(ぜんぶ)コンピュータに(はい)り、()ていくとそこから()える。(はい)っ たけれど出国(しゅっこく)も、外国人登録(がいこくじんとうろく)も、ビザの延長(えんちょう)もしていないと、 タイムラグはあるが、コンピュータでだいたいの数字(すうじ)がわかる。 固有名詞(こゆうめいし)全部(ぜんぶ)わかる。しかし、どこにいるかは()からない。 資格外就労外国人判明数(しかくがいしゅうろうがいこくじんはんめいすう)は、92(ねん)が62,161(にん)、93(ねん)が64,341(にん) とあまり()わっていない。
 −以下録音(いかろくおん)なく要約(ようやく)できず。−    (文責(ぶんせき) 編集部(へんしゅうぶ)


新聞記事(しんぶんきじ)から


タイ人支援(じんしえん)大使(たいし)感謝(かんしゃ)外国人人権(がいこくじんじんけん)ネット・オアシス・領事(りょうじ)甲府(こうふ)訪問(ほうもん)

読売新聞(よみうりしんぶん)・1994(ねん)(がつ)30(にち)


医療通訳(いりょうつうやく)養成(ようせい)外国人(がいこくじん)アシスト・山形(やまがた)市民団体(しみんだんたい)

山日新聞(さんにちしんぶん)・1994(ねん)(がつ)9日(ここのか)


医療費未払(いりょうひみばら)いが増加(ぞうか)県内(けんない)短期滞在外国人(たんきたいざいがいこくじん)本年度(ほんねんど)、580万円(まんえん)に・(けん)病院救済策検討(びょういんきゅうさいさくけんとう)

山日新聞(さんにちしんぶん)・1994(ねん)12(がつ)13(にち)


新聞(しんぶん)見出(みだ)しから (原文(げんぶん)のまま)
1994(ねん)(がつ)から10(がつ)

山梨県内(やまなしけんない)
■ごみ()し8ヵ国語(かこくご)説明(せつめい) 昭和町(しょうわちょう)リーフレット配布(はいふ)へ               山日(さんにち) 94.8.11
外国人登録者(がいこくじんとうろくしゃ)過去最高(かこさいこう) 3(ねん)で3(ばい)、7461(にん) 昨年(さくねん)12月現在(がつげんざい) 県国際課(けんこくさいか)        山日(さんにち) 94.8.20
外国人(がいこくじん)日本語講座(にほんごこうざ) 来月(らいげつ)から市教委(しきょうい) 就労(しゅうろう)をアシスト 甲府市(こうふし)            山日(さんにち) 94.8.20
南米圏出身者(なんべいけんしゅっしんしゃ)不便解消(ふべんかいしょう) ()がガイドブック作成(さくせい)へ 甲府市(こうふし) ポルトガル() スペイン()     山日(さんにち) 94.9.7
外国人男性(がいこくじんだんせい)出血死(しゅっけつし) 深夜(しんや)住民(じゅうみん)(たす)(もと)める 甲府(こうふ)13(にち)14(にち)            山日(さんにち) 94.9.15
東南(とうなん)アジア系男性(けいだんせい)変死(へんし) 甲府市内(こうふしない)病院(びょういん)14(にち)                   朝日(あさひ) 94.9.15
外国人(がいこくじん)医療問題学(いりょうもんだいまな)ぶ 人権(じんけん)ネットオアシス 17日夜(にちよる)                 山日(さんにち) 94.9.19
外国人労働者医療(がいこくじんろうどうしゃいりょう)生々(なまなま)しい実態(じったい)報告(ほうこく) 甲府(こうふ) 講演会(こうえんかい )17(にち)             朝日(あさひ) 94.9.20
外国人差別(がいこくじんさべつ)実態探(じったいさぐ)る 駿台甲府高(すんだいこうふこう) あすデイベート 山日(さんにち) 94.9.22
児童(じどう)理解(りかい) 言葉(ことば)から 教師全員(きょうしぜんいん)中国語勉強(ちゅうごくごべんきょう) 甲府(こうふ)新田小(しんでんしょう)             山日(さんにち) 94.9.30
■イラン人男性殺(じんだんせいころ)される 御坂(みさか) 口論(こうろん)末刃物(すえはもの)で 7日(なのか)                 山日(さんにち) 94.10.9
日本語(にほんご) 39(にん)未習熟(みしゅうじゅく) 甲府市内外国籍児童(こうふしないがいこくせきじどう) 甲府市教委調査(こうふしきょういちょうさ)            山日(さんにち) 94.10.12
厚生年金(こうせいねんきん) ‘出稼(でかせ)外国人(がいこくじん)不満続出(ふまんぞくしゅつ)数年(すうねん)帰国(きこく) 受給期待薄(じゅきゅうきたいうす)           山日(さんにち) 94.10.16
■タイ人霊安室(じんれいあんしつ)1ヵ月(いっかげつ) (あね)にビザ発給(はっきゅう)されず 甲府(こうふ)急死(きゅうし)               山日(さんにち) 94.10.18
病院側(びょういんがわ)陳述(ちんじゅつ) タイ(じん)エイズ裁判(さいばん) 17(にち) 甲府地裁(こうふちさい)                  山日(さんにち) 94.10.18
甲府(こうふ)変死(へんし)タイ(じん)遺体(いたい) 冷凍保存(れいとうほぞん)1ヵ月(いっかげつ) 役所(やくしょ)(かべ)故国(ここく)(かえ)れず          朝日(あさひ) 94.10.18
甲府(こうふ)変死(へんし)タイ(じん)遺体(いたい) タイの(あね)から甲府署(こうふしょ)請願書届(せいがんしょとど)く 17(にち)           朝日(あさひ) 94.10.19
山梨(やまなし)変死(へんし)のタイ(じん) (あね)にビザ発給(はっきゅう) 日本大使館決(にほんたいしかんき)める 20日(はつか)             朝日(あさひ) 94.10.21
御坂(みさか)(ころ)されたイラン男性(だんせい) 遺体(いたい)のまま故国(ここく)へ 20日(はつか)                 山日(さんにち) 94.10.21
■タイ(じん)遺族(いぞく)にビザ発給(はっきゅう) (むね)なでおろす関係者(かんけいしゃ)                   朝日(あさひ) 94.10.21
電話代(でんわだい)民間持(みんかんも)ち? タイ日本大使館(にほんたいしかん) コレクトコール使(つか)う              朝日(あさひ) 94.10.21
変死(へんし)したタイ(じん)(あね)にビザを発給(はっきゅう)へ 霊安室(れいあんしつ)長期安置問題(ちょうきあんちもんだい) 21()           山日(さんにち) 94.10.22
大国小(おおくにしょう)国際交流集会(こくさいこうりゅうしゅうかい) タイ(じん)通訳(つうやく)(はなし)児童(じどう)熱心(ねっしん)耳傾(みみかたむ)け 甲府(こうふ)         朝日(あさひ) 94.10.23
変死(へんし)したタイ人男性(じんだんせい) きょう火葬(かそう)葬儀(そうぎ) (あね)来日(らいにち)                 朝日(あさひ) 94.10.24
甲府(こうふ)変死(へんし)のタイ男性(だんせい) 来日(らいにち)した(あね) 身元(みもと)確認(かくにん) 24(にち)                山日(さんにち) 94.10.25
山梨(やまなし)のタイ男性(だんせい) 来日(らいにち)(あね)確認(かくにん)火葬(かそう) 24(にち)                   朝日(あさひ) 94.10.25
■ひつぎたたき、姉号泣(あねごうきゅう) タイ人男性遺体身元確認(じんだんせいいたいみもとかくにん)火葬(かそう)に 24(にち)            朝日(あさひ) 94.10.25
(まち)かど 祖父(そふ)(だい)から定住(ていじゅう)参政権(さんせいけん)あって当然(とうぜん) B.Zさん            朝日(あさひ) 94.10.26
変死(へんし)したタイ男性(だんせい) (あね)遺骨胸(いこつむね)にきょう帰郷(ききょう)へ                    朝日(あさひ) 94.10.28

全国(ぜんこく)
未払(みはら)医療費(いりょうひ)補填(ほてん) 東京都(とうきょうと)10(がつ)から 24日決(にちき)める               山日(さんにち) 94.8.25
なぜ()きる朝鮮人差別(ちょうせんじんさべつ) 埼玉大教授(さいたまだいきょうじゅ) Y.Fさん                山日(さんにち) 94.9.4
外国人(がいこくじん)との結婚(けっこん) 過去最高(かこさいこう)記録(きろく) 昨年(さくねん) 厚生省人口動態統計(こうせいしょうじんこうどうたいとうけい)            山日(さんにち) 94.9.8
■「健保(けんぽ)(こば)まれ医療費払(いりょうひはら)えず 不法滞在外国人(ふほうたいざいがいこくじん) 自治体(じちたい)補填(ほてん)(うご)きも       朝日(あさひ) 94.9.16
深刻(しんこく)なタイの児童売春(じどうばいしゅん) Y.H・日本社会事業大教授(にほんしゃかいじぎょうだいきょうじゅ)()く            朝日(あさひ) 94.9.17
国籍法(こくせきほう)の「線引(せんび)き」なぜ「差別(さべつ)」と人権団体(じんけんだんたい)批判(ひはん) 婚外子(こんがいし)日本国籍(にほんこくせき)       朝日(あさひ) 94.9.20
外国人(がいこくじん)登録指紋(とうろくしもん) 身元確認用(みもとかくにんよう)はダメ 東京都豊島区(とうきょうととしまく) 警視庁(けいしちょう)要請拒否(ようせいきょひ)       毎日(まいにち) 94.9.20
定住外国人地方参政権(ていじゅうがいこくじんちほうさんせいけん) 許容(きょよう)見解成(けんかいな)()つ 福井地裁(ふくいちさい)付与(ふよ)違憲(いけん)といえぬ」     朝日(あさひ) 94.10.6
長野(ながの)無国籍児訴訟上告審(むこくせきじそしょうじょうこくしん) 原告敗訴判決見直(げんこくはいそはんけつみなお)しか:最高裁(さいこうさい)口頭弁論決(こうとうべんろんき)める      朝日(あさひ) 94.10.14
原告敗訴見直(げんこくはいそみなお)しか 無国籍児訴訟(むこくせきじそしょう)最高裁(さいこうさい) 弁論再開(べんろんさいかい)通知(つうち)             山日(さんにち) 94.10.12
外国人政策参加(がいこくじんせいさくさんか)へ 31(にち)調査委発足(ちょうさいほっそく) 川崎市(かわさきし)                   山日(さんにち) 94.10.19
日比混血児問題(にっぴこんけつじもんだい) 市民団体(しみんだんたい)現地調査(げんちちょうさ) (しん)じた「結婚(けっこん)(ささ)()()母子(ぼし)        朝日(あさひ) 94.10.21
指紋押捺拒否理由(しもんおうなつきょひりゆう)逮捕(たいほ) 「遵法(じゅんぽう)裁判官(さいばんかん)にも責任(せきにん)大阪高裁賠償命令(おおさかこうさいばいしょうめいれい)         朝日(あさひ) 94.10.29
指紋押捺拒否(しもんおうなつきょひ) 在日韓国人(ざいにちかんこくじん)勝訴(しょうそ) 大阪高裁(おおさかこうさい) 逮捕不要(たいほふよう)賠償命令(ばいしょうめいれい)          山日(さんにち) 94.10.29
同世代(どうせだい)悪意(あくい)匿名電話(とくめいでんわ) 在日韓国人高校生(ざいにちかんこくじんこうこうせい)へのいやがらせ             朝日(あさひ) 94.10.31
家庭(かてい)再生産(さいせいさん)される「差別(さべつ)」 在日韓国朝鮮人(ざいにちかんこくちょうせんじん)差別(さべつ)はなぜ()(かえ)されるのか     朝日(あさひ) 94.10.31
定住外国人(ていじゅうがいこくじん)地方参政権(ちほうさんせいけん) 議会(ぎかい)容認機運(ようにんきうん)                     山日(さんにち) 94.10.31


インフォメーション

次回(じかい)オアシスセミナー 3(がつ)13(にち)((げつ)

 オアシスセミナー(だい)W期第(きだい)(かい)は、タイに滞在(たいざい)し たこともあり、APTやHELPの活動(かつどう)(とい)わって いらっしやるK.Oさんをお(まね)きし、最近(さいきん)のタイ の子供(こども)女性達(じょせいたち)状況(じょうきょう)中心(ちゅうしん)にお(はなし)をうかがいます。 皆様(みなさま)のご参加(さんか)をお()ちしております。
日時(にちじ):1995(ねん)(がつ)13(にち)(げつ))19:00〜21:00
会場(かいじょう)甲府(こうふ)カトリック教会(きょうかい)甲府市中央(こうふしちゅうおう)2-7-10)

トヨタ財団(ざいだん)より図書寄贈(としょきぞう)

トヨタ財団(ざいだん)の「隣人(りんじん)をよく()ろう」プログラムに より、翻訳図書(ほんやくとしょ)18(さつ)、タイ()、タガログ()など原語図書(げんごとしょ)寄贈(きぞう)していただきました。
紙面(しめん)関係(かんけい)今回(こんかい)書名(しょめい)掲載(けいさい)できませんが、機会(きかい)があれば掲載(けいさい)したいと(かんが)えています。

日本青年会議所国際平和基金(にほんせいねんかいぎしょこくさいへいわききん)より助成金(じょせいきん)

 昨年(さくねん)()(つづ)き、甲府青年会議所(こうふせいねんかいぎしょ)から公益信託日本青年会議所関東地区協議会国際平和基金(こうえきしんたくにほんせいねんかいぎしょかんとうちくきょうぎかいこくさいへいわききん)推薦(すいせん)していただき、70万円(まんえん)助成金(じょせいきん)をいただきました。 甲府青年会議所(こうふせいねんかいぎしょ)はじめ関係者(かんけいしゃ)皆様(みなさま)にお礼申(れいもう)()げ ます。どうもありがとうございました。

前号(ぜんごう)でお()らせしたイラン(じん)Rさんより手紙(てがみ)

 労災(ろうさい)により入院(にゅういん)し、昨年(さくねん)(がつ)帰国(きこく)したイラン(じん) Rさんよりオアシススタッフ(あて)にお(れい)近況報告(きんきょうほうこく)手紙(てがみ)(とど)きました。それによりますと、帰国後(きこくご)日本(にほん)から(おく)った(くすり)()んでいましたが、発作(ほっさ)()きた ので、医師(いし)指導(しどう)のもと(べつ)(くすり)()え、なんとか()()いているとのことです。イランでは、なかなか 仕事(しごと)()つからな いようです。なお 事故(じこ)補償(ほしょう)につい ての相談(そうだん)継続中(けいぞくちゅう) です。
なお経過(けいか)についての詳細(しょうさい)朝日新聞(あさひしんぶん)(94(ねん)(がつ)5日(いつか)) をご(らん)ください。

事故死(じこし)したタイ(じん)のお(ねえ)さんよりお(れい)手紙(てがみ)写真省略(しゃしんしょうりゃく)

4〜5ページ「在日韓国挑戦人(ざいにちかんこくちょうせんじん)日本人社会(にほんじんしゃかい)資料(しりょう)省略(しょうりゃく)

編集後記(へんしゅうこうき)

  オアシスセミナー(だい)W期第(きだい)1回(いっかい)報告(ほうこく)は、今回間(こんかいま)()いませんでしたので次号(じごう)とさせていただきます.(おく)れて(もう)(わけ)ありません。  
 この(かん)新聞(しんぶん)でもご(ぞん)じのように、様々(さまざま)相談(そうだん)がよせられ、スタッフは大忙(おおいそが)しでした。1(がつ)事務局会議(じむきょくかいぎ)(とき)は、オアシスの事務所(じむしょ)一度(いちど)に9(にん)(かた)相談(そうだん)(おとず)れ(()()いの(ひと)もいましたが)、それにオアシスのスタッフが同数(どうすう)くらいいて、事務所(じむしょ)満員(まんいん)暖房(だんぼう)はいらなかったですが、(ゆか)()けないか心配(しんぱい)したほどでした。
 兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)阪神大震災(はんしんだいしんさい))では、関東大震災(かんとうだいしんさい)(とき)とは、マスコミの発達(はったつ)(?)など状況(じょうきょう)(ちが)ったということもあり(本当(ほんとう)必要(ひつよう)情報(じょうほう)(つた)え ていなかったという指摘(してき)もありますが)、「虐殺(ぎゃくさつ)」というような悲劇(ひげき)はなく、在日韓国(ざいにちかんこく)朝鮮人(ちょうせんじん)日本人(にほんじん)がお(たが)(たす)()っていたとの報道(ほうどう)にほっと しました。これも関西(かんさい)という土地柄(とちがら)もあったのかなあと(かん)じました。とはいっても、滞日外国人(たいにちがいこくじん)やホームレスの人達(ひとたち)(かん)する流言(りゅうげん)はあったようです.  今回(こんかい)震災(しんさい)への対応(たいおう)について、(じつ)様々(さまざま)問題(もんだい)指摘(してき)されています。きちんと分析(ぶんせき)して教訓(きょうくん)()かしてほしい。また、いきたいと(おも)います。(あ)


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