OASIS News 3
オアシス・OASISニュース
1994年3月 No.3
「ジャピーノ」は私達に問いかける
「オアシス」代表 田ヶ谷 雅夫
1月17日付のマニラ共同ニュースによりますと、フィリッピン女性と日本人男性との間に生まれた「ジャピーノ」と呼ばれる子供達とその母親に対する面接と支援のため、東京第二弁護士会所属の弁護団グループ7人がマニラ入りした、と報じています。
現在、フィリッピン女性の日本への出稼ぎケースが増えているのと、現地で日本人男性が無責任にフィリピン女性と性交渉を持つことがその原因ですが、中には既婚者でありながら、平然と現地の女性と結婚届けを出す悪徳漢もいて、最近マニラの日本大使館で受理した婚姻届20件中、4件は重婚ケースだったといいます。同国はカトリック教徒が大部分であるため、通常離婚は認められないので、フィリッピン女性は重大な不利を免れ得ません。
実はこの種の問題は、第二次世界大戦が終わった時、日本とアメリカの間でもあったことでした。神奈川県大磯のエリザベス・サンダースホームのM.Sさんが、日米混血児の養育や更生のために献身されたものです。
アメリカは戦後、日本・韓国・ベトナム・タイなどの軍事基地に、それぞれ「アメラシアン」と称する混血児をお土産に置いていきました。フィリッピンでも、オロンガポ海軍基地とアンへレス空軍基地だけで、その種の子供は約5千人と推定されています。
しかし アメリカはさすがに責任を回避することなく、1982年に米系混血児にアメリカ市民権を認める法律を成立させ、近くフィリッピン国内のアメラシアンにもアメリカ市民権を与えるよう、
下院に法修正を求めています。
さて 私たちはここ数年、Y.Iと称するジャピーノ(7歳)の救援活動を続けています。
彼の父親は、日本人の「I」という名のビジネスマンです.マニラの水商売のフィリピン女性と仲良くなってY.I君を生ませたのですが、わずかの金を母親の手に握らせて、日本に戻ってそれっきりになりました。Iが教えてくれた日本の父親の電話番号は、デタラメでした。
現在Y.I君は、ケソン市内の公立養護施設にいます。母親が強盗を働いて刑務所入りしたためです。彼は肢体不自由で、7歳の今も乳母車で押してもらって移動します。私たちが彼を訪問した時、施設のスタッフは、「金さえあれば、この子に義足を作って歩かせてあげるのだけれど」と言いました。全てが、貧困に結び付きます。またそのスタッフは、「ここでY.Iはたった一人だけのジャピーノなので、みんなにバカにされたりいじめられている。こういう子はあんたの国に連れ帰ってくれ」と正面から切り出されて、言うすべもありませんでした。
戦後日本は、アジアヘの猛烈な経済的進出に伴って、現地の人とさまざまな問題を引き起こしました。そして、日本人はうやむやに責任回避していると、アジア各地で不信を買っているのが現状です。ジャピーノ問題は、中国残留孤児や従軍慰安婦問題とあい通ずるある種の問いかけを、われわれに投げかけているのです。
(フィリピンの地図省略)
オアシス活動報告
1993年10月〜
1)イラン人Aさん 賃金未払い 今までイラン人ネットの中心にいてくれたAさんもついに賃金未払いに。
同僚Aさん12月31日やっと取り立てに7分勝ち。1月帰国。
2)イラン人Mさん 賃金未払い 12月おしつまると多発する未払い。中、小、零細企業、あるいは個人経営者など雇用主も日本経済のしわ寄せを受けている人たち。その中に隠される外国人たち。雇用主は「変な人たちに間に入ってもらいたくない」と労基署へ。
3)中国系マレーシア人Sさん 賃金未払い H村の雇用主は行方不明、何度も通訳、労基署、仲介業者とのやりとりの末、1月末、元請けより未払い分支払われ解決。Sさんはほとんど日本語を理解できない。通訳のSさん何度もありがとう。
4)イラン人Hさん 労災 ユンボを運転していて左腕骨折。病院に連れていってくれたが、しばらくして社長から「こんなことでは仕事にならん。」とギプスを取ってしまう。労基署、病院などと連絡。
5)イラン人Mさん 賃金未払い 賃金未払い、労基署へ。日本語がよくできるので通訳を頼んでいる。
6)イラン人Gさん 労災 Gさんの兄が国外退去になった時、相談に来たが、彼もひどい火傷を負っている。
7)結婚、離婚、出産相談 フィリピン人、タイ人、日本人より数件。
8)イラン人Mさん 交通事故 女友達の自動車を運転していて事故を起こした。バンパー分20万円ぐらいの損害なのに、新車だから
130万出せと言われている。強制送還されるのはイヤだから払わなければならないだろうか。
9)帰国相談 タイ人の知り合い、帰国させたいがどうしたらよいか。
10)通訳依頼 共立病院(タイ人)、山梨医科大(ペルー人)。
11)ペルー人 労災 石和の温泉で働いていて転倒、腰痛、以前から長時間労働をさせられ、夜は宴会へも出された。
12)イラン人Rさん 継続中 耳鼻咽喉科の手術完了。頭部骨の整形手術をするか帰国するか。
13)イラン人Aさん 継続中 O市立病院の担当医師との関係がうまくいかず、不満が多かったが、オアシスメンバーのケアにより、現在治療中。
労災認定。
(イランの地図、オアシス「日・イ」交流会の写真省略)
オアシス「日・イ交流会」に参加して
イスラムの街の醸し出す独特の雰囲気が好きだ。かって、右も左もわからず、言葉もできずにアジアや中東の街々を歩き回っていた。宿を教えられ、飯を食わせてもらい、助けられることばかりが多かった。日本に戻ったら、今度は反対に外国人に親切にしたいと漠然と、そしていつも思いながら旅を続けていた。
去る11月28日に甲府市の国際交流センターで行なわれた県内在住のイラン人と日本人の交流会に参加した。
全員が輪になって名前を覚えたり、イラン人と日本人のペアで自己紹介をしたりといったゲームの後食べ物と飲み物を囲んで楽しい会話をもつことができた。イラン人のなかには、日本語がはとんどわからない人もいたが、上手に話す人も多く、彼らを中心に双方とも話がはずんだ。
イスラム教徒といえば、一夫多妻で、毎日5回のお祈りをし、アルコール・豚肉は御法度、そして男性は立派な口髭をたくわえている…といったステレオタイプなイメージがある。しかし実際の彼らはそんなイメージとは少しばかり違っていた。
Mさんは、オールバックの髪に首から十字架のペンダントを下げ、皮ジャンを身にまとっている。その姿から国籍の判別は不可能に近い。イラン人のなかではビールを一番飲む。そしてまた、よく喋りとても社交的である。
Aさんは、日本語がうまく、他のイラン人のまとめ役といった立場でもある。柔道の有段者というのはその大きな体からもうなずける。今回の交流会でイラン料理をご馳走してくれると、とてもはりきって、シシカバブの串まで作って用意していた。しかし会場では調理器具は使えず、この計画が実現しなかったのは残念だった。
Dさんも日本語がうまい。それどころか、ちょっととぼけたような喋り方やその間の取り方は、はとんどお笑いの世界だ。自己紹介ではたちまち人気者になってしまった。体格もいい。イランではアマレスの選手だったという。 そんな彼らだが、結婚していて配偶者(もちろん一人だ)と子どもを国に残してきている人もいて、住まいを訪ねるとテレビの上に写真が大事そうに飾ってあったりする。食べ物は、日本食も結構何でも食べられるという人も多かったが、東京まで買い出しに行ったりして、比較的イランの食生活に近いものを維持しているようだ。しかし、祖国を離れればビール程度のアルコールをたしなむ人も少なくはない。ただ、メッカの方向を向いてのお祈りは、はとんど行なわれていないようだ。また、この交流会では髭を生やしていたのは、イラン人9人中1人、日本人13人中2人と日本人優勢だった。
交流会は、大盛況に終わった。一見とっつきにくそうな風貌の多い彼らだったが、ゲームをしたり話したりしてみると、細やかな気遣いをしてくれる人あり、非常にシャイな人ありで、当たり前のことだが、人間味溢れる普通の人たちだった。 イラン人からは「次はいつやるんだ」と催促され、日本人からは「今度こそイラン料理が食べれるんでしょうね」と念を押され、既に次回の計画ももたれているようだ。とても楽しみである。
外国人が街角で集まっている姿や、仕事をしている姿を目にすることはあっても、言葉を交したりする機会というものはなかなかない。そして、親切にしてやろうなどという上辺だけの気持ちを持っていても、単なる旅人ではなく生活者である彼らが必要としているものはそんなに簡単なものではないだろう。事実、彼らの中にはもっと切実な問題に直面している人もおり、だからこそ真剣に力を貸さなくてはならないといえる。
在留や就労の資格といった制度上の問題はあっても、山梨のイラン人たちは、私たちと同じ、この地に住む市民なのだと思う。そして、お互いが相手のことを身近な人として感じることがもっと必要なのだ。そのために、今回のような会が果たす役割は非常に大きいと感じた。(ア)
『アジアから見た日本』報告
山梨外国人ネットワーク・オアシス結成1周年記念講演会
1994年11月14日、於 県立青少年会館
去る11月14日、甲府市の県立青少年会館において、“アジアの女たちの会”のメンバーであり朝日新聞編集委員でもあるY.Mさんを迎え、「アジアから見た日本」と題して講演会が開かれました。県外からや若い人の参加者も多く、約100名の人たちが熱心にY.Mさんの話に耳を傾けました。
Y.Mさんは、まず“アケミ”という名の朝鮮従軍慰安婦を描いた詩と、同じ“アケミ”と呼ばれ、現在「新小岩事件」の被告の一人として法廷に立たされているタイ人女性の話を紹介しながら、50年という歳月が流れているのに、自分自身のアイデンティティーを奪われ、日本人男性の性の奴隷にされた二人の“アケミ”さんの間にある問題の本質はまったく同じであることを指摘しました。さらに、戦争中に日本がアジアの人々にしたことに対し何の償いもしてこなかったことを痛感していることを、ご自身の体験もまじえながら話されました。
Y.Mさんが従軍慰安婦問題に関心をもつきっかけになったのは、1973年の韓国の女子学生の買春観光反対運動がおこった時だそうです。Y.Mさんは、「従軍慰安婦問題は、現在の人身売買につながっている」と強調。さらに「日本は世界最大の人身売買の国であり、その非人間的なしくみがこの国では発達してきたという事実。」を直視すべきとも主張しました。つづけて、こうした人身売買大国になってしまった日本社会の背景として、歴史的な経過説明をし、一般の女性と売春する(商売とする)女性を区別しようとする考え方があることも指摘しました。
それでは 何故彼女らは日本にくるのか。送り出す国の情況について、タイの場合、バンコックを中心とする一部地域の経済発展の陰で都市と農村の格差、富める者と貧しい者との格差が拡がってきていること。また、山岳民族や北部地方では少女売春、麻薬、エイズの蔓延などの問題が深刻化している一方で、日本企業などの森林伐採や日本向けの商品作物の生産などがおこなわれており、住民の生活を圧迫している現状が紹介されました。また、リゾート開発もすごい勢いで進んでおり、観光立国といわれてはいるが、売春ツアーなどの問題もひきおこされている実態を指摘しました。
さらに、フィリピンの場合についても“ゼネラルサントス”という町を例にとりながら、日本向けのマグロが毎日10トン、アメリカの多国籍企業によるエビの養殖場(その8割が日本向け)、またテラピアという魚の養殖池などが町中にひろがり、住民がその土地から追い立てられ、貧しい生活を強いられている現状が話されました。また、サラワクでの熱帯材の伐採についても、先住民の生活や生態系の破壊をひきおこしている実態について言及しました。
最後に、Y.Mさんは「国連女性の10年運動の中では、暴力の問題が十分にとりあげられなかったという反省から、今女性への暴力“ジェンダーバイオレンス”は世界的に注目されている」としながら,「人権の先進国とはほどとおい日本を、どう人権を守る国にしてゆくのか。そして、女性の問題は男性の問題という認識をもって、男性もいっしょにこうした問題にとりくんで行くべき」と主張して、講演を終わりました。
東南アジア諸国の実態を、実際にその目でみてきているという体験に裏づけられた話だけに、胸にずしっとくるものがありました。
滞日外国人の支援だけにとどまらず、送り出す国の実態を理解するとともに、日本人として何ができるのかを真剣に考えざるをえなかった講演会でした。
(あ)
賃金未払い・労災未補償問題の構図
オアシスに寄せられる相談のうち、賃金の未払いや労働災害の補償が不十分であることを訴えるものが増えています。多くは工場や工事現場などで働くイラン人男性などからのものです。私が担当した事例をもとにトラブルに共通する構図を報告します。
賃金未払いの場合、その理由は、@手元に支払う金が無い、元請けからの支払いが遅延している、など「無い袖は振れない」というもの(但し、雇用主の説明が本当だとすればですが)、A当人が急に「やめたい」といい、仕事が忙しかったので慰留したにもかかわらずやめていったため、感情を害し、あるいは、ペナルティーとして支払わないというもの、などが多いようです。
@は、雇用主としての義務を果たしていない勝手な理屈で、雇用主もそのことを後ろめたいと感じている部分があるので、粘り強く交渉すれば、「元請けからの入金があった時点で必ず払う」などと先方も折れます。しかし、Aのケースは、いささかやっかいです。K弁護士の話では、従業員が、ある日突然辞めていっても法的には問題が無い(但し、そのことで会社が重大な損害を被った場合はその賠償をさせられることもある)そうですが、使用者としては、急に辞められたために、その分ほかの人が残業などでカバーせざるを得なくなるので、辞めた人に対して反感を抱いているからです。辞めた当人から話を聞くと、辞めるだけの事情があるのですが、使用者の気持ちもわからないではありません。こういう場合、理屈一辺倒では、使用者は態度を軟化させないので、「手持ちの金が少しもない」「残してきた家族が仕送りを待っている」などと(実際にその通りなのです)人情に訴えたりもしてみます。
また、今も未解決のあるケースでは、言葉の行き違いがトラブルの原因になっています。急に辞めると言い出したイラン人男性Mさんに、雇用主が「そんなこんじゃあ、(今月分の)給料は払えないよ」といい、Mさんは「いい、大丈夫」と応えました。雇用主は「今月分の給料は一切払わない」というつもりで言ったらしいのですが、Mさんは「給料日には支払うが、今すぐは無理」という意味に受け取りました。労災の場合は、さらに問題が複雑です。外国人を雇っている企業は、たいていの場合、彼らの分まで労災保険に加入していません。そのため、彼らが事故にあった場合は、雇用主がその医療費(社会保険は適用されないので全額自己負担)を支払います。しかし、何度も通院させるうちにそれを負担に感じるようになり、しまいには病院に連れていくことをしぶります。それで困った外国人がオアシスに相談してくるのです。
労災保険が適用されれば、医療費の全額と、けがによる休業中の賃金の六割から八割が保険で支給されるので、私どもが交渉する場合も まずそれと同じだけの補償を当人が受けられるように、さかのぼって労災扱いにするか、その分を会社で負担するかを雇用主に要求します(この辺の法律をよく勉強しておくことが交渉者には必要だと痛感しています)。その要求に対してどう応じるかは、その雇用主の誠意によります。労災に加入していない後ろめたさから、比較的すんなり応じる人もいれば、私たちがそういう権利を主張をすることを毛嫌いする人もいます。「不法就労」の外国人を雇っている、あるいは、労災に加入していないことから来る後ろめたさからか、はたまた日本的な「お上意識」からか、問題を労働基準監督署に知られることを嫌がる点はどの雇用主にも共通しています。
ところで、ある時雇用主から次のようなことを言われて、ハッとしたことがあります。「確かにあなた方のような人も必要だが、何でもかんでも事務的に労災扱いにすれば事がすむと思ったら大間違いだ。」つまり、雇う側からすれば、労災保険や社会保険に加入しないで賃金が安く抑えられることに外国人を雇ううまみがあるのに(但しこれは、いわゆる3K的な仕事が敬遠されて、求人しても日本人が集まらない現実を棚に上げた議論)、事故を労災扱いにされ、さかのぼって保険料を取られては、次からはもう外国人を雇いたくなくなる。あなたたちのやっていることは長い目で見たら日本で働く外国人のためにはならない、と言うのです。
確かに、現行法では「不法就労」になってしまう外国人と、それにつけこんで日本人よりいくらか人件費を安く押さえられる使用者は、持ちつ持たれつの微妙な関係にあります。なのに、労災を適用するなどして事をおおっぴらにされては、その微妙な関係が崩れる、とその雇用主は言いたかったのでしょう。そうかと言って、働いた分の給料がもらえなかったり、仕事中にけがをしても十分な療養を受けられなかったりして、外国人が泣き寝入りしているのを、「人権ネットワーク」として見過ごすわけにはいきません。そもそも、外国人労働者受け入れに対する政府の姿勢が、実体とあわない中途半端で無責任なところに大きな問題があるのですが、雇用主のその言葉は、外国人労働者問題の難しさを改めて私に認識させました。
(文責 M.Y)
新聞から
人権を考える(4)・今、職場で・外国人労働者・「ケイヤクデキナカッタ、イイカイシャダッタケド…」・事故、失職、住居も…文句も言えず
毎日新聞・1994年1月11日
タイ女性が全面勝訴・山梨・売春強要の損害賠償で
?新聞・1993年11月27日
不法残留の27人摘発・県警と東京入管
?新聞・?年?月?日
編集後記
ようやく3号ができあがりました。年4回発行というのも意外と大変です。忙しい中、ご協力ありがとうございました。次号では、タイ人女性の損害賠償請求関係の報告などを中心に、5月か6月頃の発行を予定しています。遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。(A)
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