オアシスで、日々在日外国人へのさまざまな援助活動を続けているとき、肝心の相手の顔と心がフッと見えなくなることがあります。援助者の動きばかりが目立っていて、対象者(いわゆるクライエント)の立場を、私たちはどれだけ共感し、響きあって理解しようとしているのでしょうか。
先日、「障害者イズム−車椅子の戦争−」というドキュメントを見ました。県内の身体障害者の青年たちが居住施設や自宅での被保護生活から脱却して、自立生活を始めようと、まず福祉事務所へ相談に行くのです。その際の福祉事務所の職員の対応は、とげとげしく、高圧的で、まったく見る(聞く)に耐えませんでした。相手の障害者の立場を少しも思いやろうとする気配がなく、これでは天野知事や山本市長の理想の福祉対策も、仏作って魂入れずだな、と思ってしまいました。
私の本職は、通所授産施設で精神遅滞や自閉症の人達の社会自立を援助する仕事なのですが、やはり相手の心の痛みを我が痛みとするようでないと、かれらの本当の幸せ作りは実を結ばないと思います。ある知的障害者が書いた、「僕は好きな人はいません」という一文を、どうぞ心して皆さんに読んでいただきたいものです。
ぼくは、好きな人も、お友達もいません。僕はどうやっていくのかわかりません。
もうすこし僕はもうすこし男らしくすれば好きな人ができたかもしれないと僕は思った。
女子職員では僕をきらっている人もなんにんかいます。そして、ことわられた人もおります。
女子職員にきいたら、もうすこし男らしい人がいちばんいいなあと女子職員からいわれました。
僕は、もう少しまじめでふざけなくて男らしくすれば僕はもてたかもしれません。例えばお話しましょう といったら、「いやわたしいそがしい」といわれるし、
僕はいいなあ、女子職員は、かれしがおって、二人きりでデートして。僕はひとりぼっちでたまには、じてんしゃでことぶきやにいって、ようふくを見たりくつを見たりしています。僕は好きな人がほしいです。
一人ぽちはとてもさびしいです。
僕のりそうのタイプはせがひくくて、かおがかわいくて、笑顔がいい人です。僕の目標は、しごとをまじめで、ふざけなくて、職場実習にいって、就職めざしてがんばりたいと僕は思います。僕ははやく成人になって大人になりたいと思います。そしてお金をためて、 彼女といっしょにしょくじをしたりおはなしをしたりしてしてみたいなあと僕は思った。
1995年7月に日本人女性と結婚したイラン人男性で、現在、山梨県内にお住まいのSさんに、1997年4月、やっと在留特別許可が出ました。オアシスの支援したケースとしては第1号とな ります。その幸せなお二人から11月に手紙が届きましたので紹介させていただきます。
早いもので私たちが結婚し2年がたちました。今年の3月には待望 の男の子も生まれ、親子3人で幸せな日々を送っています(子供の名前はアーリア人のアーリアと名付けました)。
今年の夏には、夫の故郷であるイランに里帰りしてきました。夫の家族に温かく迎えられ楽しいひとときを過ごしてきました。
私の友人も一緒に行ったのですが、イランの歴史の古さ、景色の雄大さ、人間の温かさを身をもって感じることができる旅でした。みなさんもぜひイランを旅してはいかがですか。
これからも親子三人でオアシスに遊びに行きたいと思います。よろしくお願いいたします。
ネバー・アゲイン・キャンペーンでアラスカへ
今から12年前、21歳の時に、ネバーアゲインキャンペーンという日米協力草の根運動のボランティアの一人としてアメリカに渡りました。日本の若者がアメリカに渡って、高校を中心に中学や大学を回って歴史の授業の中で日本文化紹介を兼ね、広島、長崎の原爆のフィルムを見せて、平和につ
いてのディスカッションをするという内容でした。
100人から6人が選ばれ、私の名前はなかったのですが、チャンスを与えられアラスカに渡りました。 その時、カルチャーショックや言葉が伝わらないつらさ、もどかしさを体験しました。また、原爆を落とされた国の者が落とした国に行って語るというのはきついものがあり、たった45分間の授業では伝わらないこともありました。
どうしても、日本人が広島・長崎を伝えに来た、という見方をされてしまうのですが、その時の私の気持ちは、「日本人だから」というよりも「憎むべきものは戦争で、人ではない。広島・長崎の人と同じ苦しみを味あわせたくない。だからあの時何が起きたのか伝えていくことが大切だ」ということでした。
同時に異文化コミュニケーションの大切さを痛感しました。広島・長崎の話をする前に、まず、折り紙などを通して日本文化を紹介して、みんなに受け入れられているなと実感した時は、その後、広島・長崎の映像を見せると、 「被爆者の人たちはどんな気持ちで暮らしているんですか」といった、アメリカ人と日本人ということではなく、同じ悲劇と感じ取り、一人の人間としての発言が出てきます。
280回、約12,000人の子供たちと接しました。
ひらがなタイムズの10年
ひらがなタイムズ主催のパーティーのボランティアへの応募から関わりが始まりました。ひらがなタイムズは、創刊10年目を迎える日英対訳の読者参加型のバイリンガル紙です。最初は、外国人からの持ち込み企画で英語の新聞ということでしたが、ひらがなで書いてあれば語学教材にもなるということで、タブロイド版4ページ、無料配布の生活情報誌としてスタートしました。その後、中国の方とかの希望で、漢字の導入。さらに分かち書きとふりがな、英語の導入をしてきました。内容的にも最初は個人の情報のみだったのですが、5年目くらいから、言葉の理解だけでなく、文化、習慣、生活スタイル、価値観、宗教などの違いの背景を理解していくことも
大切だと思うようになりまして、異文化コミュニケーション誌に変わってきました。
最初は洋書店の片隅においてもらっていましたが、今は、東販、日販を通して手に入り、80ヶ国、約13万部出回っています。
言葉をしゃべれることも大切ですが、相手の文化を理解していく姿勢も大切で、単に通訳でなく異文化コミュニケーター役、お互いのコミュニケーションを助ける役目をする人が必要ということで、3年前からひらがなタイムズが中心となって、クロスカルチャー適合能力検定試験というのを始めました。
最近、多国籍劇団というのを行ないました。世界に広島、長崎を伝えたいということで8ヶ国の人が日本語で朗読をしていきます。実話で綴ったもので出演者の家族の体験と被爆者の体験を劇にしました。
国際化、地球人とは
自分にとっての国際化とは、国際人とは、地球人とは何か、考えていくことがすごく大切だと思います。私自身にとっての国際化、国際人というのは、隣にいる外国人の人とどうコニュニケーションをとっていくかということから始まっています。
ひらがなタイムズでは、「ガイジン」という言葉は差別用語だと言われたことがあって、「ガイジン」という言葉は使わないでやっています。
日本には、日本人が多いので、物を書く時どうしても日本人だけを対象にしてしまうことがあるようです。メディアの中には、外国人が見たらどう思うかなというものがあります。私も文章を書き終わった後に、この文章を多国籍の人が見たらどう感じるのかなと考えるようにしています。どうしても日本人と外国人と分けがちですが、日本も数ある国籍の中のひとつであるという考え方でひらがなタイムズもその辺を忘れないでやっていきたいと思います。
会場からの質問 異文化コミュニケーションで、摩擦が起 きないように心がけていることは?
答 とことん話し合うことですが、それでかえって摩擦が大きくなる時もあります。多国籍劇団をつくったとき、みんなが泣いて、みんなが傷ついて、嫌な思いをして、最後にみんなわかり合えなかったんですね。けれど、そこで自分たちがとことん話し合ったことによって、違う友情が芽生えていて、今も仲が良くて、コンタクトを取り合っています。
それから、外国人の場合、多国籍の方がいると視覚的に見て違うんですね。例えば、日本人と韓国人とでは解決できなかった問題が、バングラディシュの人が入ることによって丸く治まったとか、日本人と韓国人と中国人でだめだったことが、スペインの人が入ることによって、話を聞いてくれたということがあり、多国籍で違うもの同士が共存していくって大切だと思いました。違うもの異質なものを自分の中に受け入れるということは、時に自分が傷つくし苦しいし大変だなと思うこともありますが、その時に自分の中に培われた新しいものの見方だとか、考え方というのが自分自身を非常に豊かにしてくれることがあり、それがすごく勉強になってお互いに最後は笑い合えたなということがあって、ただ本当に難しいことだなと思います。
(文責A)
ソンクラーン
4月13日、甲府の妙法寺で、滞日タイ人の方々とともにタイの正月を祝うソンクラーンを行ないました。午前10時過ぎ、150名を超える滞日タイ人やその家族が県内外から妙法寺の庭に集まり、タイ人の方の進行のもと、副代表Yのあいさつ、タイ人僧侶P師の経文と説法と続き、その後P師が集まった人たちに水を掛けてまわりました。その後、昼食となり、タイの人たちの持ち寄った料理を食べ、オアシスのメンバーもタイ料理をご馳走になりました。食事が終わるとタイ人達のバンドの歌や音楽で、みな踊りだし、日本人も仲間に加わりました。水掛け祭りともいうだけあって、踊りながら水を掛け合い、顔に白粉を塗られたりと大変でしたが、楽しいひとときを過ごしました。
ソンクラーン祭り タイ正月にあたり4月13〜15日の3日間にわたり新年を祝う。この時期は農民が収穫の後の暇な時期にあたり、寺院、僧侶への積徳の行為や各種のお祭りにはうってつけの時期である。13日の元旦には寺院にお参りして、合掌した後に水を注いだり、鳥や魚を放して功徳を願う習慣もある。若者たちはお互いに水を掛け合って楽しむ。各地で多彩な催しが繰り広げられ、中でもチェンマイとバンコク郊外プラパディエンで行なわれるものが有名。(M.M.編『タイハンドブック』勁草書房より) |
ウィサーカ 仏誕節。上座部仏教では、釈迦の降誕、正道、入滅はともに同じ日であり、タイ陰暦6月の満月の日に生じたとされており、仏教上最も尊い日とされ、 スコータイ時代から祭日とされている。 この日各地の寺は美しい花や灯籠などの照明に飾られ、信者は供養の経を唱えた後、僧侶とともに火を灯したロウソクを手に本堂の周りを3回まわる。 (M.M.編『タイハンドブック』 勁草書房より) この日酒類の販売が禁止されている。 |
月刊むすぶ 特集「ニューカマーの居場所」
「月刊むすぶ」No.319('97.7)にて「ニューカマーの居場所」という特集が組まれました。主な内容は、以下の通りです。事務所にも一部置いてあります。
□97年の入管法改定を受けて
□在日外国人女性の人権は守られているか
□タイ人女性殺害事件(道後事件)控訴審に向けて
□北の大地に孤立する外国人花嫁たち
□バルゴ・マイラさん母子の置かれている状況
□外国人119ネットワークの取り組みから
□茨城入管収容所建設反対運動の五年間の取り組み
□問われているのは入管行政や日本社会
□ニューカマーの子供たちのとっての学校教育
□どの子も虹色に輝いていますか
□ペルーからにほんの収容所を覗く
□人種差別撤廃条約と外国人の人権
『月刊むすぶ No.319('97.7)』 定価700円
発行 ロシナンテ社 京都府 & 075-721-0647
遅くなりましたが、事務所移転に伴いないオアシスの相談電話番号は、下記の通りとなりました。
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