OASIS News 11
オアシス・OASISニュース
1997年3月 No.11
明治のはじめに、福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という名言を残しましたが、そういう理念は今もって人間社会で(特に日本で)実現しているとは、とても思えません。
過日、オアシス主催の新年会で、イランの若い労働者の皆さんが、わざわざお国の音楽テープを持参し、とてもすばらしい音楽と踊りを公開してくれました。その姿はとても自然で、とても楽しそうで、お国の伝統に深く根づいた、本当の「文化」をまざまざと思わせるものでした。ところが、当日参加した日本人の皆さんはかれらのバイタリテイに圧倒されたのか、せっかくみんなで踊ろうというかれらのアピールに、尻込みしてニヤニヤと見守るばかり。つくづく日本にはほんものの働く人達の表現活動が乏しいことを、思い知らされました。
とはいえ、同じ日本でも、例えば皆さんご存じのように沖縄県などにはまだまだすばらしい民俗芸能が息づいています。そして、沖縄での日常生活の中で自然に生かされているのは、うらやましい限りです。県のお偉い公務員の宴会などで、いつの間にか身振り手振りおかしく、沖縄正統舞踊がしぜんに披露されます。かつて沖縄の支配者だったヤマトンチュ(大和人)たちは、手持ち無沙汰にこれまた見守るばかり。かれらお得意のカラオケなんて、実に安っぽく薄手で、とても沖縄伝統芸能の足元にも近づけません。
日本人は過去、中国や朝鮮や沖縄の人達を、「人の下の人」として、陰に陽に蔑視し、差別してきたのではないでしょうか。それは大きな思い上がりであり、それらの人々もすばらしい独自の文化と文明を培ってきたことを、思い知るべきです。
南京市民大虐殺事件や、従軍慰安婦問題がもうひとつすっきりせず、わが国の政府高官がつい本音を吐いて問題になるのは、一般日本人の本音の象徴かもしれません。
オアシス代表である私にも、正直言って他民族に対する偏見がなかった、とすればウソになります。私がいわゆる黒人に対する偏見を是正したのはわずか7年前、研修で2週間ほどアメリカ・ジョージア州のアトランタ市に滞在していた時のことでした。
「風と共に去りぬ」と過日のオリンピック大会で有名なこの町には、たくさんの南部系黒人が生活していました。その中には、自信をもって町の発展に貢献する多くの人々がいて、われわれ日本人に本当の福祉社会とは何かを、かれらの日々の生活の中から教示してくれました。へンな話ですが、黒人女性の輝くばかりの美しさがやっと分かったのもその時のことです。
さて、私が言いたいことが、ふたつあります。ひとつは、オアシスの活動は、気の毒な人達、恵まれない人達をサブヒューマンな存在として決して認識すべきではない、ということです。たしかに私達は過去、多くの発展途上国の外国人労働者援助の活動を続けてきましたが、それは同じ人間同士として当然の営為であり、逆にかれらから私たちも多くのものを学び取らせてもらったのです。私は個人的には障害者福祉施設の園長をしていますが、これだけ人間尊重の声が高い現在でも、障害者を健常者より一段低い存在とみなす 「劣等処遇の原則」が脈々と日本人社会の中に生き残り、それが時に慰安婦問題などで突出したりしているのではないでしょうか。
もうひとつは、ではどうしたらそういった状況から脱出できるのか、です。これは、理念じゃない。とにかく同じ人間同士であることを、会い、話し、歌い、踊り、共に行動することで「識る」以外に手はない、と思います、今までいわれなく蔑視されていたいろいろな人々の人間としてのすばらしさを、ナマで認識するところから、すべてが変わって行きます。私たちオアシスの活動が、われわれ日本人自身のものでもある、というのはそこなのです。より多くの方々がオアシスの活動に参加され、いわゆる純粋日本人の偏り、誤った価値観や美意識を根底から引っ繰り返すような、快い体験をお持ちになるよう、お勧めする次第です。
10. 1 タイ人女性Jさん裁判
10.10 HELP10周年記念国際シンポジウム参加
於東京ウイメンズプラザ
10.17 事務局会議 於事務所
10.28 第VI期オアシスセミナー第1回 『女性の権利は人権である! ホント?』 講師:S.Y.(オアシス副代表)
於甲府カトリック教会
10.29 タイ人女性Jさん裁判
11.19 タイ人女性Jさん裁判 於甲府地方裁判所
11.21 事務局会議 於事務所
11.28 タイ人Jさん裁判
12. 5 K弁護士、Y副代表、通訳としてTさん、タイ在住のJさん訪問、裁判の打ち合わせ。
12.19 事務局会議 於事務所
1.16 事務局会議 於事務所
1.19 オアシス・オアシス日本語教室新年会 於山梨県国際交流センター
※毎週火曜日事務所にて外国人よりの相談受付
イラン人より
・配偶者ビザのあるイラン人の解雇について。
・所得税の還付請求手続き援助(複数)。
・日本人女性との結婚について。
・イラン人女性緊急入院先への訪問。
タイ人より
・内縁関係の日本人男性と別れ子どもを連れて帰国のための示談交渉、婦人相談所への引き取り、帰国援助、入管、大使館へ同行。
・年末、肺炎で緊急入院の男性、年明け死亡。
母国との連絡、親族のパスポート発給、援助、葬儀、火葬、帰国援助。病院における医師・ワーカーへのサポート。
葬儀は甲府市の永照寺にお世話になり、とり行なうことができました。
・夫婦げんか。4件
・労災、基準局同行。
・女性 再び緊急入院(以前心臓手術)。
・帰国の相談、大使館同行など。5件
・労災、会社より補償金でる。
・タイ人夫婦の子どもなのに日本人に出生届けを依頼したら、日本国籍にさせられてしまった。 タイに帰りたいが子どもの戸籍をどうしたらよいか。
フィリピン人より
・入院中の男性、帰国の相談。
・帰国の相談、大使館同行など。
・内縁関係だった日本人との子どもの認知について。
日本人より
・友達の借金の保証人をタイ人の妻がしたためにやくざに脅されている。弁護士紹介。
ペルー人より
・娘の小学校入学について。幼稚園園長と相談し町の教育委員会に相談。入学許可の方向へ。
中国人より
・小学校・中学校に通う子どもをもつ母親(日本人の夫とは離婚)の在留期限を延長したい。
その他保健所の相談窓口への紹介多数。
HIVに感染しているということで手術が行なわれず、下半身不随になったとして、峡南病院と市立病院を経営する甲府市を相手取り約
1,500万円の損害賠償請求訴訟を1994年4月1日、甲府地裁に起こしたタイ人女性Jさんが、裁判の本人尋問のため3月来県することになり、オアシスでは、別紙のようなビラを用意するとともに準備を進めてまいりましたが、本人の病状悪化のため、来県できなくなりました。そのため、彼女の病状・医療的鑑定などをタイで行なう必要が生じ、その翻訳料など多額の経費がかかります。裁判維持のため引き続きカンパをお願い申し上げます。
なお、次回裁判は4月24日午後2時からの予定となっています。
去る1月19日の日曜日に、山梨県国際交流センターにおいて新年会をひらきました。今回は「日本語寄り合い教室」の先生方や生徒の皆さんとオアシスのメンバーの交流を兼ねてのパーティーでした。
参加者は「日本語寄り合い教室」 の先生8名、生徒さんが10名、
その他オアシスのメンバーなど24名、子どもたちも含めて約50名でした。まず、Tオアシス代表の挨拶、参加者の自己紹介、O事務局長によるゲームと続き、懇親会に移りました。
ところで、今回、T代表の勝沼授産園でとりくんでくださった“古着なんでも
100円コーナー”が大うけで、みんな目の色を変えて(?)掘り出し物をさがしまわっていました。
飲んだり食べたりした後は、おまちかねの福引。はずれなしで全員に景品が当たりました。福引後はオアシス恒例(?)のイランの音楽にあわせてのダンスでおおいに盛り上がりました。今回は連絡がゆきわたらなかったせいか、それとも忙しかったのか、いつもなら大挙して参加するはずのイランの人たちが少なく、ちょっとさみしかったのですが、いつも楽しいDさんが華麗な踊りで私たちをリードしてくれました。
はじめて参加する日本語教室の先生方は当初恥ずかしがってか、踊りの輪に入るのをためらっていましたが、超元気なKさんがまず加わって本領発揮。T代表の盆踊りのような身振りに勇気づけられて、参加者も次々と踊りに加わりました。 連絡の不徹底さや配慮の足りなさで、参加できなかった外国人も多く、事務局として反省しています。しかし 後日、「楽しかったので毎月計画してほしい」という声があったそうで、ほっとしたところです。
皆さんごくろうさまでした。(あ)
はじめに
十年位前から「日本は国際化した」と言われる一方「外国人が増えてきてどうしよう」と言っているが、実際は日本から出国する日本人のほうが入国者より多い。 また、現在、いわゆる「オーバーステイ」と言われている人は、28万人位、ピークの93年が30万人位と、バブルの崩壊を経てもさほど減っていないのは、数字に操作があると認識しておいてほしい。
カラバオの会結成
会結成当時は実体をよく知らず、ある労働組合にフィリピン人が助けを求めに来て、運動せざるをえないという状況だった。その後、1ヶ月もたたない内に4〜50人のフィリピン人と知り合いとなり、暴力、ピンはね、強制労働ありと事態の深刻さに気づいた。そして、学習会、討論を何回もやり、夜中までということもあったが、結論として、「経済格差が30〜50倍、失業率が40%を超える状況の中で日本に来て働くなと言っても無意味な話。目の前にある人権を優先させ、内外人平等を訴えて共に闘う仲間として迎え入れよう」ということで、活動を始めた。
当時、こういう問題に取り組む団体はなく、宗教・市民運動・労働運動・医療各関係者に声をかけ、『カラバオの会』として結成した。名称は、誰にも親しまれるように、フィリピンの水牛の名前にした。
今、結成10年目を迎えて、全国にこういった運動団体が120団体位に増えて、数万人の人がこの問題に取り組み、少数者から多数者になりつつある。
行政の動き
1988年に労働省労働基準監督局は各労働基準監督署に対し「違法な外国人であっても日本の労働法は適用する」と通達。入管法以外での政府の初めての対応。 翌89年国会に提案された入管法改正案は、就労許可制度、雇用者罰則制度を含む内容で、改正というより改悪。働く人の枠を広げたようだが、実際は取締強化。 また、「労災法の適用は国内に限る」とされていたが、一生涯治療・補償の場合、生活習慣や文化が違う日本より自分の出身地で治療した方がいいと、89年1月労働省と交渉、新しい様式の案もこちらで作っていきOKということで、帰国後も労災法が適用されるようになったということがあった。
また、88年横浜で、出稼ぎの人に医療保護の適用をさせていくということがあり、その後、全国で医療保護を求める外国人が増え、保障を受ける人が結構の数になってくると、厚生省は、90年、各自治体に「医療制度での対応を廃止する」と口頭で通達を出した。90年6月改正入管法が施行。審議過程での様々な働きかけで、「人権侵害が著しい場合、この法の執行を一時凍結する」という付帯決議が両院全会一致で可決。
フォーラムの開催
当時相談にとても対応しきれず「これは、人権、平和、労働問題に取り組んでいる人達に集まってもらい取り組んでもらわなくては、将来国際社会から批判を受ける」ということで、関東だけでもと、1991年4月埼玉県で「第1回外国人労働者問題フォーラム」を開き、92年高崎、93年長野、94年横浜、95年、震災のあった大阪で全国交流集会、今年、福岡で「第1回移住労働者問題全国フォーラム」という流れで来た。
入管法改正後の政府・行政の対応
90年の入管法施行の際、群馬や埼玉の工場経営者団体が国会議員に対し「中小企業を守れ」と突き付け、大量に日系人を輸入することを決めた。
また、92年秋以後景気が急低下し、翌年有効求人倍率が1%を切った時期、政府は上野や原宿で外国人を大量検挙、拘束した。これは、だぶついた労働力を調整するための口実として入管法が使われたということ。入管職員は、刈り込みに行く時、警備担当の上司から「法律的に根拠がない」と言われており、文字通り逮捕権の乱用、人権無視。その結果矛盾を持ったまま収容所に収容された人達にはいろんな不満が出、それを押さえるための暴行が発覚してくる。今も当時入管職員から暴行を受けた人達の裁判が行なわれている。入管の職員も大変。根拠のないことで行動させられたり、30万人の人間にたった2千人で対応しなければならない。入管法改悪以後、目つき顔つきが変わった職員がいると言われていますが、当然だと思います。
そして93年4月、景気が悪くなってから実施に踏み切ったのが技能実習生制度。しかし実習生とは名ばかりで労働力として働らかされた。
こういう厳しい状況の中、生活保護打ち切りがあり、これに対し神奈川県、横浜市、川崎市、栃木県などと1年以上交渉していく中で、医療費補填制度の創設や、行路病死者法を復活させて適用させることができた。
「出稼ぎ」についての検証
出稼ぎに来ている人達は、「日本はとても安心して暮らせるところではない、大変住みにくいところ」と内心思っているらしい。「だったら来なければいい」と言いますが、世界戦略というものがありそのもとにアジア、第三世界に対する経済政策が行なわれている。そういった中で大国の経済支配が貧困という意識のなかったところに貧困を強制していくということがある。 87年、フィリピン海域で遭難し大井埠頭に連れてこられたフィリピン漁民を預かった。かつては1マイルの範囲内で家族が食べていくのに十分な仕事ができたが、「お互いの領海内で自由に漁が出来る」という条文がある日比通商航海条約締結後、日本の大きい船がフィリピン領海内で操業するようになり、やむなく10〜20マイルも沖に出て時化にあい遭難したという。
こういう不平等な条約を時の政府や権力者、資本が取り入ってあちこちで押しつけてきた。土地も資源も働くところさえも奪っておいて「だったら来なきゃいい」とは勝手な話。
私は基本的には国境の壁を取除いて自由に人々が出入りする、理想に近い状況に進んでいくことがいいと思っているが、本来出稼ぎに来なくてもすむような社会を一方で保障させていくことも必要だと思っている。 そして、「豊かでなくても、便利でなくてもよいではないか。30倍も40倍も経済格差があるほうがかえっておかしいんだ」と気づき、貧しさや苦しさだけを強制するのではなく、楽しさやうれしさや豊かさも共有していけるような関係が欲しいなと思っている。
相談の傾向
やはり賃金未払いや労災など労働問題の相談が一番多く、次が疾病、怪我などの医療相談。あと部屋に大勢人が住んでいたとか、夜中まで楽しくやってしまったことなどによるトラブルなど細々した相談が3番目。そして、在留資格の変更・延長、妊娠、出産、入園、入学、結婚、養子縁組、離婚、男の養育責任の放棄などの定住型相談がその次になり、うなぎ登りです。それと同じ位に多いのが人身売買、買売春の相談です。
けしからんケース
定住者からの相談の中には、フィリピン人女性が、日本人男性と恋愛で一緒になったのに、長男を生んだ後、彼を含め家族全体が冷たくなったという相談や、婿に入った外国人男性からの同じようなケースの相談もあった。人権も何もない。人間製造機械じゃない。
どういった活動を行なっているか
相談活動はどこでもやっているが、他に多いのが日本語教室、それからお料理教室、ハイキング、キャンプ、海水浴、花見などが行なわれている。
おもしろいのは、最近、カラオケ大会、ハイキングと行政がまねをしだした。そしてうまくいかないとNGOに協力を依頼したりする。悪いとは言いませんが、行政は行政なりに市民運動のケースワークの必要性を認め、同時に実績や経験も学んでほしい。
地域との結びつきを大事に
カラバオの会では、地域の夏祭りに積極的に関わりその責任を担っており、取り組みも国際化につながるようなものをしている。地域から排外主義をなくしていく取っ掛かりにいいと思う。どこにでもいる一般の市民が普通の意識で参加できることが大切。これが時代に合わなくなった法や制度を変革する力につながる。本当の力は草の根。そこにいる人たちがこういった場所にぱっと入ってこれるかということ。地域との結びつきをこれからは大事に
してほしい。
「外国人犯罪者
キャンペーン」
特に不景気になってか
ら「日本は国際化に向か
って治安が脅かされよう
としている」と外国人に対し「犯罪者キャンペーン」が張られている。これに対し正確な数字で反論していくことも大切だが、そのことを理解してもらえる状況を作っていくことも大切。また、小さな事を大きく報道して、いかにも犯罪者、犯罪予備軍であるかのようなレッテルを貼る作業が今行なわれている。一般の日本人だったら微罪になるケースでも逮捕、摘発、すべて起訴して水増ししている。
入管法も大変な人権侵害
一般の刑事事件では、判決を受けないで刑を科せられることはないが、今の入管法では、判決を受けていないのに入管収容所に置かれ、長い人は1年半もいるケースがある。入管収容所は帰国を保障するためにあるところで、刑を科すところではない。とんでもない人権侵害。入管法はこういうプロセスが非常に曖昧、制度的に確立されていない。
きちんと反省していないから現在の人権無視が
戦争が終り50年以上たっているが、今だに納得のいく反省も補償もされていない。反省して補償すべきは補償していかなければいけないだろうと思う。 なぜこんなことを言うか、そこをやっていないから、現在進行形の人権無視がまかり通っている。
21世紀に通用する青少年の健全育成とは
この間、葉山町で青少年の健全育成に向けて出した小冊子は、「無国籍児の存在やエイズ患者によって青少年の健全育成を疎外するような環境が蔓延してきている。」というもの。とんでもない。これからの国際社会を育っていく子供たちに対し、「外国人は危ない」と外国人を忌避していくのは本当に青少年を健全に教育していく環境とは言えない。逆にそういった人達への認識を深め交流することによってこそ21世紀の国際社会に通用する教育を受けた人格と言えると思う。
ということで冊子は回収することになった。
新しい時代は私たちの努力にかかっている
21世紀国際社会が目前に来ている中で、日本が、経済力だけでなく人権や教育も全て担っていける下地づくりは、少数者と言われている私達の努力にかかっている。「新しい時代を作っていくのは少数者だと思われているオアシスが、山梨県から作っていくんだ」ということを自覚しあって、今後の取り組みをさらに強めていってほしい。 (まとめ・文責、ア)
第6期第1回オアシスセミナーは、新聞記事のような内容を中心に10月28日に甲府カトリック教会で行ない、普段のセミナーより多くの参加者がありました。報告は新聞記事にて代えさせていただきますが、詳細についてお知りになりたいかた、ご質問などありましたら、事務所までお問い合わせください。
場所が比較的甲府駅に近いのと家賃が安かったので使用してきました今までので事務所ですが、昨年4月の日本語寄り合い教室開講に伴い手狭となったので、新しい事務所を探していましたが、なかなかよいところがなく、同じビルの部屋をもう一つ借り、事務所、日本語寄り合い教室として使ってきました。
しかし、今年3月のタイ人女性Jさんの裁判での尋問による来県による滞在場所、4月のタイ僧侶の来県時の滞在場所が必要であること、タイ人の方が集まるところがほしいという要望があること、今までの事務所の階段がきつく危ないことや駐車場の確保が大変などの理由により、また新しい事務所を探しておりました。今年1月になり、甲府市の愛宕町にほぼ希望通りの一戸建てが見つかり、2月1日に事務局のメンバーを中心に会員の方にもお手伝いいただき引越しをしました。イラン人の方も1名来てくださいました。
新しい事務所は2階建ての住宅です。2階の部分はオアシスのスタッフの住居として使いますが、1階をオアシスの事務所、日本語寄り合い教室の教室として使います。家賃は12万円で、オアシスの負担は6万円となり、ほぼ今までの家賃と同じになります。
1階の部屋は、和室1、洋室3の4部屋あり、相談、会議、日本語教室を平行して行なえるようになりました。一般の住宅なので、初めての方にはわかりにくいようですが、内装もきれいで小さな庭もあり、事務所といった感じではなく、和やかな雰囲気でできそうです。
また、駐車も、小さい車でしたら5台は停められますので、今までより駐車の心配が少なくなりました。 甲府駅北口からは、12〜15分ぐらいです。
事務所に人がいるのは相談日の毎週火曜日と事務局会議のある第3木曜日のそれぞれ午後7時からですが、一度お立ち寄りください。
新事務所住所
〒400 山梨県甲府市愛宕町147−2
相談電話番号、ファックス番号はそのままです。
前号でお知らせした、アジア人権基金と、国際交流基金への助成金の申請の結果は、残念ながら両基金とも叶いませんでした。
なお、アジア人権賞は、ビルマの民主化運動の先頭に立つ「アウンサンスーチーさんとともに歩むひとびと」、土井たか子人権賞は、韓国民主化運動の先頭に立ってきたI.U.さんと決定しました。
昨年4月28・29と福岡で開催された同フォーラムの報告集が発行されました。 定価600円 130ページ
連絡先:移住労働者とともに生きるネットワーク療、 〒812 福岡市博多区美野島2-5-31
美野島司牧センター内
Tel/Fax 092-431-5709
1992年9月に設立された外国人女性のためのシェルター「女性の家“サーラー”」がブックレット「サーラーQ&A 3年間の活動から見えてきたもの」を発行されました。人身売買・強制売春、結婚や家族の問題、医療、送り出し国の状況、定住化の中でのケースの傾向、サーラーの活動と組織について、という項目に分け、41のQ&A形式でまとめてあり、サーラーの活動や外国人女性のおかれている状況がわかります。
定価 500円 送料1冊 190円 3冊まで 270円
郵便 振替 00220−2−46818
女性の家“サーラー” Tel 045-901-3527 Fax 045-902-4045
Jさんの来県が中止となりましたが、それ以前に書かれた記事もあります。ご了承下さい。
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